NPO日本移植支援協会

専門家の意見

佐野 公俊 先生

日本脳神経外科学会理事長
救急センターセンター長
(平成20年)
佐野 公俊 先生

「阿修羅」

脳神経外科という仕事柄、人の死に直面することは多い。実習に来た医学生に脳死は人の死だと思いますかく聞くと半数ぐらいの人がYes半数ぐらいがわからないか、Noと答える。それでは心臓死は人の死ですかと聞くと殆んど全員が{答える。一般に心臓死を人の死だとしているが果たしてそうなのだろうか。心臓移植を受けた人は、その時点で自分の心臓は死んでしまったのだからその人は死んだことになるのだろうか。また心臓移植は心臓が身体をもらったのだろうか。誰もそうは思わない。

また精密な人工心臓が出来たとしよう。電池は100年はもつような丈夫な人工心臓である。この人が交通事故で意識がなく呼吸も停止し、人工呼吸器がつけられた。さてこの人はいつ死ねるだろう。呼吸は人工呼吸でしている。心臓も人工心臓となった今止まる事はない。「全細胞死」は死だろうが髪の毛など3ケ}月程はもつ。もっと極論すれば何万年前の恐竜のから同じ恐竜が生き返ってしまう時代である。全細胞死での判定は無理と言わざるを得ない。部分死で判定しなくてはならないとなるとその人がその人であるというのはどこに存在するのか。

仮に脳移植が出来るようになったとしたら体が脳をもらったのか? 脳が体をもせったのか?顔も体も本人であるのに脳だけ違ったらー仮にA君が脳死になってB君の体は多臓器不全でこのままでは二人とも死んでしまう時、B君の脳をA君に移植したとしょう。A君の家族は喜んでA君元気になれたねといって迎えようとするだろうがそのA君はA君の体をもらった。

B君の脳が支配しているのでA君の家族に「この度はA君の体をいただき感謝しております。顔、体はA君なのですが私はBです。」というであろう。即ち体や心臓に本人が存在するのではなく、その個人たる存在は脳にあるということがわかる。純科学的に言えば脳死こそがその個人の死であった訳である。昔、呼吸器のない頃は、脳死=呼吸停止であるからこれで人は息をひきとっていたわけである。しかし呼吸器が出来て脳死では人は死ねなくなった。
呼吸器のついた脳死の判定は「難しい」時間もかかる。全員にこんな判定をしていたら時間も費用もとんでもないものになってしまう。そこで心臓死はわかりやすいし、心臓が止まれば10分もすれば脳は死ぬわけだから心臓死で代用しているのが現実であろう。

心臓死は本来人の死ではないので時に蘇りが有る事がある。だから24時間死体を安置し葬儀を行ってはならない。通夜が出来たのである。しかもそれは法律で定めている。
先ずはこの点をはっきりさせておく必要があったと思う。さもないと人工心臓を入れた人は死ねない時代が来てしまう。即ち科学的には脳死こそが人の死であるがこれを全員に行っていたら大変だし脊髄反射など誤解しやすい、一般的には心臓死で代用しよう。ただ人工心臓を入れた人や奇特にも臓器提供してくれるという人に対しては本来の死の判定を行おういうものではないか。だからといって脳死になったら全員臓器提供というわけではない。

人にはそれぞれ人情、感情、宗教、主義、主張があってしたい人はすれば良いし、したくない人はその必要もない。
ただ「他人がしようしているのを妨害する理由も権利もない」このあたりを本当は脳死臓器移植法の前にもっとよく国会でも、国民全体でも討議納得してもらってその上で法案が出来たらもっと違った展開になったものと思っている。 ところで話180度変わるが生きるということに関連して米国などでUFOやエイリアンの存在が確証されているとの話も時に耳にする。私はきっといるのではないかと思っている。しかし居たとしたら水のある星、即ち青い星でなくてはならない。

太陽系にはまずいないとすると銀河系のかなたか他の系からか、そうすると何万光年という距離がある。光の速さを持った乗り物で何万年もかかる、生物が生きられる時間ではない。時間を加えた四次元を変えることが出来るか不死の方法でもなくては辿りつけない。

人間は脳の1/3しか使ってはいない。全部使えたら恐らくエスパーが出来るだろう。世に霊視者、透視者などいる。殆どは偽者だろうけど中に本物がいてもおかしくはない。脳を2/3を使えばそんな能力も出るような気がする。しかし1万年は生きられない。可能性は・・・ある。
現代科学でクローンは作られる。コンピューターを介してでもよい脳の記憶を移すことが出来れば、自分の記憶を自分のクローンに移して自分の古い体から脱皮して体は消えていく。これを繰り返せば何年も行き続けられる。それと共にとてつもない科学の進歩がもたらされるであろう。そうすれば光の速さの乗り物も手に入れることが出来るかもしれない。

エイリアンが地球に来たとすれば恐らくこれらを克服しているはずであり、地球上の知能でかなうべきものではないだろう。そうするとエイリアンは頭でっかちの体力は子供程度かもしれない。もしエイリアンに会うことが出来たらば、私は彼らに尋ねたい。科学の進歩は本当に人や生物をそして宇宙を幸せにしているかそれとも滅亡に向かって突進しているのかと。その時、私はアフリカの小さな国には、文明の波が押し寄せそうになった時、そこの酋長が文明社会を視察して、文明は便利にはするが人の心を豊かにしてはいないとして文明の侵入を拒否したとのことである。

今の時代、丁度、脳死、臓器移植の法の作成の前に人間の死を一度考えておかねばならなかったように人間の真の幸せとは何かということを今、しっかりと考えて明日に向かうべき時が来ているように思う。阿修羅は、もとはインド古来の異教の神で戦い好きな鬼神でお釈迦様の邪魔ばかりしていましたがお釈迦様に余りに近づき過ぎて真実を知ることとなり、お釈迦様に帰依して仏教を守る八部衆に入ったと言われる神様です。今のような時代にこそ真実を知り、人の成すべき道を考え、世の中における自分の存在意義を見つめ直し、自分の出来る事を全身をもって努力する。そんな生き方は古いかもしれないが今の世の中に欠落し、しかも必要とされているもののように思う。

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