1997年10月16日に臓器移植法が施行されてから、初めて1999年2月28日に脳死からの
臓器提供が成され注目を集めました。旧総理府の世論調査によると、意思表示カードの
配布数も1000万枚を超え、全人口の約1割が手にして入ることになっております。
とはいえ、まだまだ日本における臓器移植の理解・推進のためには、世論形成・意思表示カードの普及等に関わる活動が必要です。
本法人では臓器の機能に障害があり、その機能回復または付与を目的として臓器の移植術を受けようとする者と、その家族のサポートをいたします。
そして、レシピエント(臓器の移植術を希望する人、または移植術により臓器提供を受けた者)の回復・社会復帰を図るとともに、「1人でも多くの国民の健康で幸せな生活に寄与すること」を目的としております。併せて、レシピエントとその家族の支援や臓器移植全体の啓発を行う団体への協力も行い、広く移植をサポートします。
臓器移植法の施行後も、子供の日本における臓器移植は閉ざされていました。
その現状の中で、重い心臓病により移植でしか助からないと診断された勇貴くん(当時3才)の知人らが「勇貴くんを救う会」を設立しました。
大勢の方の善意の募金により、渡米することができましたが、残念ながらドナーが現れず1999年4月16日に永眠されました。
その後、勇貴くんの死を無駄にしないよう、団体名を「移植支援ゆうきの会」と改め、この様な臓器移植を必要としている患者、またその家族に対する様々な支援を行ってきました。
同じ様な支援団体は全国で個々に設立されていましたが、まとまった組織を結成し、
移植の窓口となるための議論が交わされてきました。
そして、多くの移植関係者・ボランティアの方々の同意もあり、臓器移植推進・レシピエントの精神的なサポートという同一の目標を持って、埼玉の「曜子さんを救う会」の設立者である両親と協力し、2000年2月14日に特定非営利活動法人日本移植支援協会の設立の申請となりました。
その後、札幌の朱里(あかり)ちゃんの両親も活動に加わり現在に至ります。
勇貴くん
曜子さん
朱里(あかり)ちゃん
役職 | 担当職務 | 氏名 | |
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理事 | 理事長 | 東京本部 | 高橋 和子 |
理事 | 副理事長 | 北海道支部 | 斉野 真由美 |
理事 | 名古屋支部 | 永井 孝 | |
理事 | 東京本部 | 斎藤 淳子 | |
理事 | 会計 | 東京本部 | 中村 和代 |
監事 | 東京本部 | 持田 一夫 | |
北海道支局 | 横山 英紀 | ||
沖縄支局 | 新屋 清喜 | ||
富山支局 | 松原 勝久 | ||
新潟支局 | 児玉 義明 | ||
神奈川厚木支局 | 土屋 義行 | ||
神奈川鎌倉支局 | 山田 淳也 | ||
山梨支局 | 五十嵐 有子 | ||
静岡支局 | 市川 佳永 | ||
群馬支局 | 大島 洋子 | ||
徳島支局 | 阿佐 勝彦 | ||
鹿児島支局 | 俵積田 恵美子 | ||
相談役 | 高原 史郎 | ||
相談役 | 川合 明彦 | ||
顧問弁護士 | 市川 充 |