NPO日本移植支援協会

専門家の意見

加藤 友朗 先生

コロンビア大学病院
(平成20年)
加藤 友朗 先生


2008年

医学部を卒業して外科の研修医を終えるころ、アメリカで臨床の勉強をしたいと思って選んだのが移植だった。その当時、心臓停止下での臓器摘出でのいわゆる献腎移植や生体ドナーからの腎移植は行われていたが、肝臓移植を学ぶことは日本ではほとんどできなかったので。

医療従事者でない方にはあまりお分かりにならないと思うが、腎臓移植は当時の日本では主に泌尿器科の先生方と一部の腎臓専門の外科の先生方で行われていて、一般外科の外科医が行う(行おうとしていた)のは主に肝臓移植だった。今でも一般外科(消化器外科)でいう移植とは主に肝臓移植であるのに変わりはない。

アメリカの移植医療はとても魅力的なものだった。拙著「移植病棟24時(集英社)」にも書かせてもらったが、アメリカでの研修医時代に出会った急性肝炎の若い女性の見違えるような回復は、移植医療の力強さを強烈に感じさせられ、今でも鮮明に覚えている。この患者さんは、交通事故で肝臓破裂をおこし集中治療室に入院していた20代の患者さんだった。肝臓からの出血はかろうじて止まったものの肝臓に行く動脈を止めてしまったのがきっかけで急性の肝不全に陥っていた。

救急部からの要請で移植適応の判断のためにICUに見に行ったとき、僕の目の前でこの患者さんは心肺停止に陥った。急性肝不全の患者の心肺停止。これはほとんど助かる望みのない状態である。しかしそこからの懸命の蘇生処置と緊急の肝移植でこの患者さんは一命を取り留めた。しかも一命を取りとめたどころかわずか数週間で歩いて退院していったのである。

日本での移植をめぐる状況はその当時(1995年)と今ではだいぶ変わった。日本でも生体肝移植の進歩できっとこんな状況の患者さんでも助かるようになったのではないかと思う。しかし一方で移植が必要な患者さんの多くが移植を受けられるようになったかというとそれはまだまだである。

アメリカは移植大国で移植件数は世界一多い。そのアメリカと日本を単純に比較してもしょうがないのだが、アメリカで2006年に行われた肝移植は脳死ドナーからのものと生体ドナーからのものをあわせて6650件(うち生体ドナーは288件、脳死ドナー6362件)(http://www.optn.org/より引用)。

一方同じ2006年中に日本では510件の肝移植が行われ、うち生体肝移植が505件、脳死ドナーからのものは5件だけである(トランスプラントコミニケーションより引用)http://www.medi-net.or.jp/tcnet/。日本でもアメリカと同じように移植が行われる必要があるとすると、日本とアメリカの人口比を考えてもかなりたくさんの方が、日本では移植を受けられずに亡くなっていることになる。

最近、外から日本の報道を見ていて、移植に対する見方が変わってきていることを実感することがよくある。いま日本で一般の方に「あなたのお子さんが臓器移植でしかたすからないといわれたらあなたはお子さんに移植を受けさせますか?」という質問をしたら答えはどのようになるだろうか(募金活動などをしなくてよく、日本で受けられるとしての場合)。おそらく100%近いかたが「はい」と答えるのではないだろうか。これは実は画期的な変化でないかと思う。おそらく10年前に同じ質問をした場合、「いいえ」と答える人もあまりいなかったかもしれないが、「はい」の人は少なくかなりの人が「わからない」と答えたのではないか。これは移植という医療が一般の人々に理解されていなかったからである。そういう意味では移植への理解は確かに進んだ、では次に進むためのかぎは何か。

「あなたのお子さんが脳死になったら臓器提供を考えますか?」という質問を考えてみて欲しい。この質問の答えはどうだろうか。おそらくこれには、10年前でも今でもほとんどの人が「いいえ」になるのではないかと思う。先ほどの質問とこの質問は同じことの裏表のようなところがある。移植医療には脳死ドナーでなければできないものもあるからだ。僕はこの二つの質問のギャップを埋めることがこれからの課題だと思う。誰でも自分の子どもが脳死になることなど考えたくはない。まずは自分のことから始めてみよう。今現在、健康な人が、将来移植が必要な状態になる可能性と脳死になる可能性はどちらも低い。しかしどちらもゼロではない。

移植が必要になったときに移植を受けたい人には脳死になったときの臓器提供にも同意してもらう。そんな考え方はどうだろうか。僕はもちろん脳死ドナーとして登録している。それは移植医療をするものとして当然であるが、一方で僕に移植が必要になったときも移植を受けたいし、僕の家族にも受けさせたいと思っている。そんな考え方が2つの質問のギャップを埋めるかぎではないだろうか。そして移植医としての僕の役割は移植医療をより魅力のあるものにすること、理解してもらうことである。そして移植医療を受けたい人が日本でも増えれば、自然に日本にも定着して行くのではないか。そんな風になってくればよいと僕は思うのだが、みなさんはどうだろうか。

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