フロリダ大学 |
つい最近、フィリピン政府が今後外国人には移植を行わないことを発表しました。中国でも外国人に対する移植は制限されてきています。今まで移植難民と呼ばれてきた日本人の患者さんは、今後、海外の行き場所さえも失ってしまうのでしょうか。
2008年4月28日現在、米国で移植を待つ患者さんの総数は98525人です(心臓2658人、肝臓16367人、腎臓75629人、肺2098人、膵臓1627人、小腸228人)。それに対して、2007年1年間に移植された臓器の数はそれぞれ、心臓2210、肝臓6227、腎臓10587、肺1466、膵臓469、小腸197でした。
日本では1997年に脳死移植を容認する法律ができましたが、それ以来この10年間で70あまりの脳死ドナーからの移植が行われたにすぎません。脳死ドナーの数は米国が年間6000人あまり、日本が6人といったところでしょうか。米国の人口が日本の約2.5倍であることを考慮しても、400倍以上もの開きがあります。
最近の世論調査では、多くの日本人が移植を知っており、臓器ドナーとなることに賛成しているにもかかわらず、ドナーカードにサインしている日本人は一握りに過ぎません。生体ドナーがいない患者や脳死ドナーからしか移植を受けられない心臓病患者は海外で移植を受けるか、あきらめるしかありません。
平成17年度の厚生労働省による「渡航移植者の実情と術後の状況に関する調査研究」(班長 自治医科大小林英司教授)によりますと、これまでに少なくとも522人が渡航移植を受けており、1997年の臓器移植法施行後も渡航移植に歯止めがかかっていない実態が明らかになりました。
なぜ、日本では臓器移植がこのように極端に少ないのでしょうか。和田心臓移植の後遺症、宗教的背景、文化の違い等がその答えとされてきました。そうでしょうか。文化や宗教背景のある程度似かよった、さらに儒教的思想のある、お隣の韓国や中国では、はるかに多くの移植が行われています。日本で臓器移植がこれほどまでに遅れてしまった原因は、ひとえにリーダーシップの欠如と考えます。批判を恐れて、何もせず、無難に職務をまっとうしたものの方が、困難な局面に挑戦する勇気ある人間よりも高く評価される日本社会を変えていく必要を強く感じます。
潜在的なドナーを見つけ、医学的マネージメントを行い、一般市民を教育し、病院と緊密な関係を保つといった具体的なプログラムを早急に作り上げなければなりません。移植関連法案を含めて、いかにすれば、もっとドナーを増やし、臓器移植を受けなければ死んでしまう待機患者に貢献することができるかを真剣に考えるリーダーが必要です。生体腎臓移植の手術点数を減らすのではなく、献腎移植の点数を増やし、また、大いに発展する可能性のある病腎移植(修復腎移植)を官民、そして医学会ともなって進めていくべきでしょう。
日本国憲法 25条
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
先ほどの、フィリピンの件に関しても、世界の移植関係者からの、「自国の患者は自国のドナーでまかなうべき」という強いメッセージがあったためと聞きます。
日本国憲法に示された理念が真に実行されるような日本にならないと、日本は移植の世界において孤児となってしまうのではないかと危惧します。