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聖路加国際病院
周術期センター長
聖路加看護大学
周麻酔期看護学特任教授
宮坂 勝之 先生
臓器移植法改正から2年
2010年7月に改正臓器移植法が施行されてから間もなく2年になります。この改正は注目を集めましたが、実際の国会審議は政局が関わり国民にはとても解りにくい展開でした。当時のねじれ国会審議の過程で、「脳死を一律人の死とする」というA案にはじまり、A案からE案までが次々に登場しました。それぞれに論点はありましたが、結論は、いかに国会を通過しやすいかという政治的な妥協の産物に思えました。これには、当初が議員立法であったことも深く関係したのだと思いますが、とにかく廃案にならず成立したことは有り難かったです。
国会では、党議拘束を外した議員個人の信念に沿っての投票、一案が過半数を得たらそこで投票を終結させるサドンデス方式、さらに電子投票の採用など、通常みられない仰々しい過程を経て、結果的に脳死を一律人の死とするというA案が衆議院を通過したという報道がなされました。しかし実際には、それ以後の参議院での審議や委員会答弁などを経て、現在の、「移植に限り脳死を人の死と認める」という、一見従来と変わらない結果になりました。ただ、親族優先提供条項が加わり、被虐待児や知的障害者からは臓器提供を行わないこと、そして本人の同意なしに家族の承諾で臓器提供ができること、あるいは小児での臓器提供が可能になったことなど、脳死が本質の話よりは、移植医療との関わりだけが、注目を集めました。
余り注目されず、また余り総論的な議論がなかったと思いますが、法律的には、臓器提供の基本がOpt-inからOpt-outに変わったことは極めて大きな改正であったと考えます。これは、臓器提供に対してNoの意志が明確に示されていないかぎりYesとし、あとは家族の承諾をもってYesとするということです。ドナーカード記入がなくても臓器提供が可能になったことが良く報道されますが、この、本人の意志が確認されなくとも臓器提供が可能になったことが、小児での臓器提供が可能になった背景でもあります。とはいえ、知的障害者の方からの臓器提供や被虐待児からの臓器提供が認められないこと、あるいは親族優先提供があることなど、法律的に矛盾した決定も盛り込まれています。
幾多の問題を抱えてではありますが、今回の臓器移植法正施行を経て、脳死下での臓器提供は確かに目に見えて増加しました。確かに年間30例を越える脳死下臓器提供例は、従来のペースの3-4倍です。これは、従来は望んでも臓器提供に至ることができなかった患者さんの臓器が、必要な方に生かされる機会が増えたことであり、とても喜ばしいことです。ただ、これでも欧米の臓器提供の水準には届いていませんし、何よりもこの間に、小児からの臓器提供が1例に留まった現状は、残念なことです。
これらの背景には、日本では小児科医の大半が脳死患者に接することがないという、小児重症患者の治療が分散されている現状、即ち本格的な小児ICUの存在が極めて限られていることがあります。脳死の診断に必須である「無呼吸テスト」を身近に経験することもありません。また脳死が一律人の死であることが認められていないことや、臓器提供が個人の権利とまで認識されていないことなど、日本の国民感情をそのものがあると思います。脳死は本来臓器提供の有無とは無関係に、人の死として理解されるべきですし、看取りの医療の中でこそ理解されるべきものです。
脳死の概念は、人工的に呼吸を維持できる近代の医療技術の進歩がもたらしたものであり、その背景を理解し難い一般の方に分かり難いことは避けられません。脳死患者に接する機会の多い集中治療領域で働く私たち医療従事者は、一般に受け入れられている心停止、呼吸停止、瞳孔散大の三徴候による心臓死ですら、実は根本は脳死であるのだとの理解を含め、より一層の啓発をすべきだ思います。
丁度15年前の1994年4月、当時8歳の女の子の海外渡航心移植を手助けさせていただいて以来、数多くのお子さんの航空機搬送に係わって来ました。その中には、生後数ヶ月の乳児も、到着してすぐにECMOが必要になるほどの重症なお子さんもいました。一般旅行客で満杯のジャンボジェット機内に仮設のICUを設営しての患者搬送は、人材確保の上に、電池、酸素ボンベ、薬剤、医療機器機材等の準備に加え、出入国許可、飛行安全上の許可、そして先方の病院との連絡と、不安定な患児の治療を続ける傍らの準備は一大チームワークであり、多大な労力を要しました。しかしその苦労も、身内のように患者家族を励まし、手助けし、また渡航費用調達に心血を注いでいる「日本移植支援協会」の努力に比したら、些細な努力に思えました。
改正臓器移植法が施行された以後も小児からの脳死下臓器提供例の増加は芳しくありません。小さな子どもたちにとって、海外渡航移植が唯一の選択肢である状況が続きますが、一方で海外での受け入れ事情の困難さという壁はますます厚くなっており、目の前の支援が必要な患者へ手を差し伸べる「日本移植支援協会」の活動の前途には幾多の困難が待ち構えています。ただ、平成24年度の診療報酬改定で、懸案の小児ICU加算が認められ、小児救急医療にも手厚い対応がとられたことでもあります。まだまだ時間はかかりますが、この状況が好転する素地は作られつつあり、希望の灯火がみえはじめたといえます。 (H24.7)
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東北大学病院
小児外科副科長
和田 基 先生
「小腸移植の現状」
本年9月の第12回国際小腸移植シンポジウムで公表された国際小腸移植登録の報告によると、世界79の施設で、これまでに2611回の小腸移植が施行されています。全症例の約6割 を18歳未満の小児症例が占めていますが、この割合は、後述の小児腸管不全治療の成績向上により、若干減少傾向にあります。
小腸移植の短期成績は他の臓器移植と比べ遜色のないものとなっていますが、中長期の成績、特に小腸単独移植の成績向上が今後の課題と考えられています。
国内の小腸移植は、脳死ドナーからの臓器提供数が少なく、小児脳死ドナーからの臓器提供がこれまで認められていなかったことなどから、生体ドナーからの移植が多く行われていました。しかし最近は脳死ドナーからの移植が主流となっており、改正臓器移植法施行以後さらに症例数も増加しています。
脳死ドナーからの移植12例のうち7例は19歳以上の成人症例、残る5例は6歳〜18歳の年長児〜若年症例で、6歳未満の症例に対する小腸移植は日本国内では未だ行われていません。原疾患は生体小腸移植後の再移植が3例、ヒルシュスプルング病類縁疾患、慢性特発性偽性腸閉塞症などの腸管運動機能障害が6例、短腸症候群が3 例でした。短腸症候群に伴う肝不全に対し、生体肝移植後に脳死ドナーからの小腸移植を施行したものが最近2例あり、脳死ドナーからの臓器提供の未だ少ない国内において、肝不全を来した腸管不全症例に対する現実的な対応、選択としてしかたがない側面もありますが、欧米であれば脳死ドナーからの肝臓-小腸同時移植が第一選択となる症例と考えられます。
生体小腸移植も含め、年長児あるいは成人の腸管運動機能障害症例が多いことが最近の傾向です。最近8年間に行われた小腸移植の15例中14例が生存していますが、10歳未満の小児に対する小腸移植は行われていません。
新生児期に発症する短腸症候群の頻度は10万人の出生あたり24.5例で、その多くが主に肝不全や敗血症のために死亡すると報告されています(日本国内での腸管不全の発症頻度、死亡率は調査中)。腸管不全に関連した肝障害は様々な要因が関与していると考えられていますが、最近、ω3系脂肪酸の豊富な魚油由来の静注用脂肪製剤を使用することにより、肝不全が劇的に改善することが報告されています。魚油由来静注用脂肪製剤は米国でも未だ未承認の薬剤で、現在ボストン小児病院を中心に臨床治験が行われています。国内でも薬事承認を得るべく、日本外科学会より医療上の有用性の高い未承認薬・適応外薬の要望に応募しており、できるだけ早期の承認が期待されます。
小腸移植は他の臓器移植とくらべ。その症例数が少ないことなどから、他の臓器移植がすでに健康保険適応になっているのに対し、いまだ健康保険の適応となっていません。ようやく本年の8月より脳死小腸移植、10月からは生体小腸移植移植が先進医療となり、免疫抑制剤タクロリムスの保険適応に小腸移植が追加されました。しかし先進医療のままでは自立支援医療制度などの公的医療補助制度が適応されないなど、手術と術後管理には高額の医療費がかかり、依然として患者の大きな経済的負担となっています。
静脈栄養への依存度の高い重症腸管不全に対しては、小腸移植の適応と時期を念頭においた管理が必要となります。しかし、腸管不全例の予後を正確に推定することは困難で、小腸移植の適応とその時期を判断することも必ずしも容易ではありません。欧米でも移植施設に紹介される段階で、すでに末期の肝不全や重篤な静脈栄養の合併症をきたしている症例が多く、治療戦略の選択の幅を狭め、移植待機中の死亡率も高いことが問題となっています。腸管不全の治療において、栄養管理、内科的・外科的治療を積極的に行い、静脈栄養への依存度や合併症を軽減するとともに、小腸移植も含めて包括的・総合的に行う腸管機能回復支援プログラムという概念が提唱され実践されています。
腸管不全に関連した肝障害が進行し、肝不全に陥った場合には、肝臓−小腸移植あるいは多臓器移植が必要となります。腸管不全治療の進歩によりその割合は減少傾向にありますが、これらの方法でしか救命できない症例も常に存在します。とくに幼少児のレシピエントでは、腹腔容積の制限から、レシピエント/ドナーのサイズマッチを考慮しなくてはならず、多くの場合、小児脳死ドナーからの移植が必須となります。本邦では、小児の脳死ドナーからの移植が法的に認められていなかったため、小児、特に乳児例に対し肝臓-小腸移植あるいは多臓器移植を行うことはきわめて困難です。このため、本邦のこのような患者は海外への渡航移植に頼らざるをえず、これまでに数例の小児腸管不全患者が、海外に渡航して移植を受けています。
改正臓器移植法の施行に伴い脳死ドナーからの臓器提供数は増加しましたが、10歳未満のドナーからの臓器提供は未だ行われていません。小児脳死ドナーからの臓器提供や移植医療の必要性、重要性を正しく、広く周知するための啓蒙活動や小児救急医療体制の充実を図ることが大切ですが、これに加えて小児症例に対する肝臓-小腸移植あるいは多臓器移植への技術面、制度面での対応を検討、整備することが重要と考えています。
また改正臓器移植法では虐待死児童や知的障がい者からの臓器提供を認めないことになっていますが、こうしたことが本当に子供や障がい者の権利を守ることにつながっているかどうかについては検討を要すると考えます。臓器提供が崇高な人類愛に根ざした行為であり、この行為自体が権利であるという価値観からは、現場は正反対な法規制になっているという見方もできます。勿論、脳死移植をどのように位置付けるかを一方的な価値観から決定することはできず、国民の意識、倫理観、宗教観なども絡む事柄であることから拙速になってはいけませんが、目の前にある救われるべき命がみすみす失われているという現実から目を背けることなく、真剣に議論しコンセンサスを得る努力を続けなくてはなりません。
このような観点からも、脳死や臓器移植に対する理解が得られるよう正確な情報を提供するとともに、小児の脳死ドナーからの臓器提供に関連するあらゆる問題点を解決すべく、最大限の努力払うことがわれわれの使命と考えています。 (H24.2)
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東京女子医科大学
循環器小児科 助教
清水 美紀子 先生
臓器移植改正法施行後初の小児心臓移植の実現に際して
2011年4月12日、臓器移植改正法施行1年を待たずして、15歳未満の小児からの臓器提供があった。最愛の子供を亡くしたご家族に哀悼の意を表するとともに、悲しみの中にあって、勇気ある決断をされたことに敬意を表したい。小児の心臓は小児に優先的に提供されるという新しいルールにのっとり、提供された心臓は大阪大学で重い心臓病の子供に移植されたとのことである。移植医療は手術の成功はスタートである。これから急性期を乗り越えて、できるだけ長く高いquality of lifeが維持できるよう頑張ってもらいたい。
日本では、被虐待児からの臓器提供は認めておらず、今回もその評価に強い関心がもたれていた。しかし、ただでさえ子供を亡くし、深く傷ついているご両親、ご家族に対して、虐待の事実があったかどうかの評価を行うということの意味をよく考えていただきたい。米国では、被虐待児からの臓器提供が多くを占めていると言われているが、虐待が判明するまでは死亡宣告は行われず、専門の機関が入って真偽は究明される。その上で、臓器提供の意思はその判定に左右されることなく優先されることになっている。
したがって、臓器提供によって虐待の有無の真偽が隠ぺいされることは決してなく、二つのことは独立した別個の問題とされている。虐待の定義というのも非常に難しい。定義を間違えれば、全ての子供は被虐待児になりうるし、逆もまた然りである。今回、虐待はなかったとの判定がスムーズにつき、移植への障壁とならなかったことは喜ばしいことである。今後も、移植関連施設においては、いつ症例が出ても対応できるよう準備を進めていただきたい。
小児の脳死判定に関しても、より多くの人に理解してもらう必要がある。驚くべきことに、小児科医であっても、脳死と植物状態の区別がつかない人が多くいる。これは憂うべきことで、医師自身がきちんと理解していないことを患者・家族に説明することはできない。脳死からの臓器移植は、あくまで、全脳機能が不可逆的に停止した状態=脳死の状態にあり、かつご本人の臓器提供の意思が書面で確認できる場合、もしくは不明であってもご家族の承諾がある場合のみであり、他者により強要されることはあってはならない。これらのことを踏まえれば、小児においても適正な脳死判定のもと臓器提供は可能であり、今回それが証明されたものと考える。
レシピエント側の管理については、これから我々医療者が症例を重ね、また学会や海外の施設での経験等をもとに向上させていかなければならない。日本の心臓移植の長期成績は、現在も移植先進国のそれに劣ることがないばかりか、きめ細かいケアと、怠薬等の問題が比較的少ない国民性からか、非常に良いのが現実である。これから症例が増え、移植医療が特別なものではなく、一般に普及したときにこれがどうなっていくのかが注目される。筆者の施設では、臓器移植を受ける子供の支援プログラム開発に関する研究を看護師・臨床心理士・医師らで行っており、移植に関する意思決定のプロセスにおける支援、移植にまつわる医療行為へのプリパレーション、移植後の多角的なケアプログラムの構築を目指している。
先にも述べたように、移植医療は一生続く医療である。特に子供達は、成長発達という大人とは違った側面があり、思春期の怠薬などの問題を抱えている。そうでなくても、免疫抑制剤の使用に伴い、さまざまな合併症や続発症をきたす可能性があり、そういった移植後の患者様たちが直面する様々な問題についても多くの人に知っていただき、医療者はそれについて学び、適正な治療、ケアに結び付けていかなければならない。
今回の日本で初めての小児からの臓器提供を大きな一歩として、医療者だけでなく、広く多くの人に臓器移植について知っていただき、命をつなぐリレーを広めていければと思う.。 (H23.7)
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聖マリアンナ医科大学
脳神経外科
小野 元 先生
「死後臓器提供での医療機関が抱える諸問題」
本邦では1997年に臓器移植法が制定され、脳死下臓器提供が行われてきたが年間10件前後の提供数でありあまりにも少なかった。その後、臓器の移植に関する法律(臓器移植法)が改正され、国民の臓器移植に対する関心は非常に高くなった。また法改正後の脳死下臓器提供が増加しているように見えるが、現在でも臓器不全に苦しみ移植を待ち続ける命にとっては厳しい状況にある。そして2008年「イスタンブール宣言」では自国の臓器移植における自立性を提示されたが、いまだに医療者が自国の死後臓器提供の全体像を正確に判断すらできていないのが現状である。
それでは医療現場のどこで死後臓器提供が発生するのかといえば医療機関のなかでも多忙を極める救急医療の現場が中心となる。救急医療現場では医師、看護師をはじめ多くの専門スタッフがチームとして移植医療以外の通常業務に関わる。そんな中、法改正施行により小児臓器提供や虐待問題、親族優先など現場負担が増える要素は大きくなった。
通常業務でさえ多い中、発生時の周りに影響する負担は大きくなったことは事実である。また臓器提供を死後の事と認識している方々もいるが、実はそうではない。どのような経過であれ、入院され医療を開始した際には意思表示カード所持の確認、家族からの希望、そして医療スタッフからの選択肢提示により臓器提供に対する対応が始まっている。つまり臓器提供とは死亡から始まるのではなく、あくまでも本人の意志や家族の希望で臓器提供の対応が始まるため、入院後の治療経過中においても医療スタッフの対応が大切となる。
よって法改正後の臓器提供に対して公正・公平に関与するためには個人の対応を避け、まず脳死診断を含めた終末期医療に対する医療スタッフの理解向上と救急現場を支える院内体制整備が必要となる。脳死下もしくは心停止下臓器提供のいずれでも「人の死」を前提とし、死に行く者の臓器提供があり初めて臓器移植が行われる。これまでの臓器提供症例においては、一部の医師もしくは医療機関により支えられてきたことは事実である。実際、すべての脳神経外科医や救急医が積極的に臓器提供には関わっていない。
その一面には脳死診断や選択肢提示が終末期医療のなかでは日常業務以外と考えているからである。多くの場合、脳死もしくは全脳の機能不全を避けられない状況で医師は「脳死の診断」を行い、家族に十分な病状説明を行いその後の治療方針を問う。このような状況で医師を含めたスタッフは病気に対する敗北や無念さを感じているものの、その一方で終末期医療や臓器提供に多くのトラブルを抱え込むことを嫌う傾向が多い。もちろん医師の主な仕事は病気を治すことであるが、医師個人の苦悩は理解される一方で、医療スタッフは危機にある命のために最後まで治療を施す義務があり、出棺までも本人や家族のためにあらゆる努力を忘れてはならない。
つまり脳死状態、もしくは予後不良だからといって医療機関の努力をDNARといった言葉で一方的に終わりにすべきではない。法改正をふまえれば、誰であれ医療機関に属するスタッフは本人や家族の「終末期における意志のベクトル」を能動的に問い、その中で臓器提供の可能性を見出していく努力が必要になる。その中で見えてくる課題としては、本人や家族の臓器提供意思を確認するためには情報を抽出するための選択肢提示を誰がいつ、どのタイミングで行うのかが問題になる。多くの施設では選択肢提示を行うべきは主治医であるとしているが、多くの医師の苦悩はここを起点としている。前述のように特に救急現場で医師は患者を救うために医療を施しているのである。選択肢提示は死を意味することでもあり、「手のひらを返すよう」に簡単に提示できるものではない。また終末期における脳死診断をはじめ、気管内挿管行為や人口呼吸器使用方法、昇圧剤、点滴量とドナー管理との関係も判断できない医療現場すらある。
しかもこれらの諸問題は少なくとも日本臓器移植コーディネーターが解決する内容ではない。あくまでも医療機関やそこで働く医療スタッフが解決してかなければならない問題である。そこで我々の施設では移植医療支援室を2007年から院内設置し、臓器提供に対する終末期医療とコミュニケーションスキルを中心に救急現場への支援を継続している。今後もこのような院内サポート体制は各医療機関のオーダーメイドでよいと思われるが、臓器提供に対する意思は常時、抵抗なく表示でき、その意思に沿えるようにできる体制を築くことが我々の責務であろうと思う。 (H23.7)
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筑波記念病院心臓血管外科(部長)/東京大学医学部心臓外科非常勤講師
末松 義弘 先生
本邦では1997年10月「臓器移植法」が施行されたことにより、心臓停止後の腎臓と角膜の移植に加え、脳死からの心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸などの移植が法律上可能になりました。その1年半後、法案成立後初の心臓移植が施行されましたが、絶対的なドナー不足のため、その後も国内では年数例の心臓移植しか行われていませんでした。そのため、心臓移植の適応患者さんが待機中に死亡することも珍しくなく、多くの患者さんが海外での渡航移植を受けざるをえない状況です。しかも2008年に採択されたイスタンブール宣言により、移植ツーリズムの禁止、自国での臓器移植推進が提言され、さらに2010年5月のWHO総会にても臓器移植目的の渡航の自粛を求める指針が採択されました。今後、渡航移植も困難になってくることが予想され、日本での心臓移植を本格的に推進しなければいけません。
そのような背景のもと、2009年の法改正により、2010年1月17日からは臓器を提供する意思表示に併せて、親族に対し臓器を優先的に提供する意思を書面により表示できることになりました。また2010年7月17日からは、本人の臓器提供の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば臓器提供が可能となり、15歳未満の者からの脳死下での臓器提供も可能になりました。これにより国内での移植が大きく推進することが予想されてはいますが、渡航移植に頼らない医療の実現にはまだまだほど遠いのが現状です。
日本でドナー不足にはいくつか理由がありますが、札幌医大で行われたいわゆる"和田移植"に対する社会的な不信感に加えて、文化、宗教的な背景のため脳死という概念が国民的な理解を未だ得られていないことが挙げられます。今までの法律では、臓器提供の時に限って、脳死を人の死とするとなっていましたが、今回の改正法は脳死は人の死とすることが前提となっており、日本人の死生観および人の死の定義について大きく踏み込んでいます。
臨床現場において、脳死を人の死とすることにまだまだ社会的コンセンサスは受け入れられていないと感じますし、脳死の基準も不明確なまま先の見えない治療が漫然と続いています。ここで大きな問題は、日本のほとんどの医師は移植医療という治療の選択肢を日々の診療の中で意識さえしない、ということです。「やっかいな事に足を突っ込みたくない」「余計な仕事を増やしたくない」との理由から、患者や患者家族に対して脳死という言葉さえ出さない医師がほとんどです。医療従事者がまず脳死および移植医療の理解を深めることこそが、社会的に理解を得るまずは第一歩であると考えます。そのために国や学会は、まず医師・看護師・コーディネーターなど医療従事者や医学生などへの教育を率先してやらなければ改定法が施行されてもドナーは決して増えません。さらに、臓器提供の現場となる救急医療の充実や、臓器を提供する家族への支援体制の強化も重要です。
近年は欧米でも心臓移植希望者数に比して移植症例数は限られています。 移植大国のスペインでさえ渡航移植される例があるようです。移植待機中に心不全が憎悪した場合, ドナーが現れるまでの間, 人工心臓が必要となることが少なくありません。一方で、わが国で施行された心臓移植95例(平成23年2月末)のうち、86例(91%)の患者さんが人工心臓からのブリッジ移植であり、更に人工心臓に依存している時間は2年を越えて来ています。したがって、心臓移植と人工心臓の治療をひとつの医療体系として考える必要があります。現在、日本で移植可能施設は限られていますが、人工心臓の治療を行う施設の限定はされていません。つまり、通常の心臓手術を行っているような施設では、実はどこでも人工心臓の治療を行うことが出来ます。
しかしそれをやらないのは、手術の経験がある医師がいない、治療に非常に手間がかかる、移植までの待機期間が長いために長期に患者さんがベットを占有してしまう、からです。一方で、いままで国内で保険医療として使用できた人工心臓は材質も性能も劣る体外式の時代遅れのものでした。平成23年3月1日にようやく新しく2機種の日本製補助人工心臓が保険医療として使用できることになりましが、残念なことに学会はそれを使用できる施設を厳しく制限しました。国全体で移植医療を推進していこうというところで、今度は学会がそれに対して水を差すようなことになってしまっています。さらに、補助人工心臓を装着した患者さんがいる病院を移植施設がバックアップするという体制も確立していません。将来、移植医療を普及させるためには、われわれ医師は先に述べたような医療スタッフの教育・啓蒙だけでなく、それを支える人工心臓の治療を含めた新しい医療基盤を作る必要があると考えます。 (H23.7)
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慶応義塾大学病院
小児」外科
星野 健 先生
臓器移植医療に足を踏み入れて、はや20年以上が経過しました。たしかに20年前と比べると、日本の移植医療の発展はめざましいものがあります。しかし、現在の日本の移植医療は、20年前の欧米における移植医療より勝っていると胸をはってはいえません。それはやはり脳死移植医療の未熟性からくるところなのだと思います。それでもこの医療は前に進まねばなりません.なぜなら、移植医療によってのみ元気になれる患者さんがいるからです。
私は医者になってまだ間もない頃、胆道閉鎖症のこどもが、親子の絆が強くなっていく2歳前後というまだ本当に小さいころに、肝硬変が進行し、肝不全や静脈瘤からの出血で短い一生を終える場面に直面しました。本当に悲しかったです。そして、肝臓移植の重要性を実感しました。これが私の移植医をめざそうと思ったきっかけでした。実際に自分が移植医療に関わるようになってから、末期肝硬変や劇症肝炎で死と直面していた子供たちが生まれ変わったように元気になっていく子供たちをみて、移植医療は現時点では必要不可な医療であることを確信しています。私はドイツのハノーバー医科大学で臨床肝臓移植を学び、日本に戻ってからは小児の肝臓移植を中心に最近は小腸移植の臨床に関わっています。生体移植一辺倒の日本の移植医療もこの7月からは新しい脳死法案の施行となり、これもあらたな一歩となることでしょう。
今日は小腸移植の事を少し述べてみたいと思います.小腸移植は以前は「禁断の移植」とまでいわれるほど、成績の悪いものでした.近年になり、手術手技のみならず、拒絶反応の診断、治療、新薬の開発などによってようやく、その成績が向上して参りました.といってもほかの移植にくらべてまだまだ未知数の部分があることは否めません。しかし、私が実際に「小腸移植は偉大だ」と実感したエピソードを披露いたしましょう。私は本来小児外科医であり、消化管機能不全の患者さんの治療に携わってきました.腸管が機能しないため、食事ができない患者さんがいます。食べようとしても気持ち悪くなって食べられないのです。いつしか食べるという行為にまったく関心がなくなってしまう患者さんもいます。
その子供たちになんとか食事をさせようと親御さんはそれこそ涙ぐましい努力をします。しかし現実は希望通りにはなりません。そんな患児(A君)に小腸移植をしました。移植後、初めて食事を口にする瞬間に私は立ち会いました.スプーンでおかゆをすくってまずにおいを嗅ぎました。いつもはごはんのにおいだけで吐き気をもようしていたA君でしたが、私の顔をみて「くさくない」と不思議そうにそしてうれしそうにいいました。それからおそるおそるスプーンを口にいれました。ゆっくりとのみこんで、次にまたスプーンですくって・・・・おかゆはどんぶりに入っていたのですが、いつしかそのどんぶりを手でもってスプーンを動かしていました.最後はどんぶりに口をつけてまさにおかゆをかきこんでいっきに食べてしまったのです。完食です。うまれてはじめて「おいしい」と思いながらどんぶり飯を食べたA君はほこらしげな顔をしてご両親、私、そして周囲の医療スタッフをみました。
移植医療はこんな感度的な場面を提供してくれるのです。高カロリー輸液で命がながらえたとしても、食事を楽しめなければ生きているとはいわない、とアメリカの移植医が私に語っていた事を思い出し、まさにその通りだと思いました。こんなすばらしい医療なのですが、問題点はたくさんあります。小腸移植の現在の最大の問題点は医療費にあります。保険適応の医療でないのです。使用する薬剤も保険適応外ですし、手術手技も保険で認められていません.寄付を募るか貯金をはたいて医療をうけねばなりません。国の財政逼迫のため、医療費の削減はある程度はやむを得ませんが、命を救う医療、「人間」の尊厳をもって生きていくことに必要な医療は優先的に国が保護することを考えてもらいたいものです.
1件の医療費が高いといっても、小腸移植を必要とする患者はほかの疾患の患者さんにくらべればきわめて少ないのですから、医療費の補助は考えていただきたいと思っています.現在、日本小腸移植研究会が中心となって国にかけあいながらこの件を進めています。医者が進めているだけでなく、患者さんからの強い要望も必要です。日本移植支援協会のみなさんはそのような多くの問題点について精力的に活動を展開されています。本当に頭がさがります。ひとりでも多くの患者さんが心から「生きててよかった!」と思えるように、皆が真剣に考える時代になってきていると思います.
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慶応義塾大学病院
移植コーディネーター
添田 英津子 先生
「移植さえできれば・・・」という願いは、臓器の末期状態にある患者・家族と、その患者・家族を支える医師・看護師などの医療従事者にとって長年の夢でした。なかなか進展がなかったわが国の移植医療の歴史のなかで、さまざまな難問題が忍耐強く研究され、討議された結果として、今日の移植医療があります。
日本移植支援協会は、発足当時より海外への渡航移植を支援しながら、常に移植医療推進活動の最前線で活動されていました。患者さんと海外渡航に向けて離陸する際の何ともいいようの無い悲しい気持ちがせめて救われるのが、渡航を全力で支援してくださった皆様のあたたかい言葉でした。
移植医療が他の治療と異なる点は、移植を受けるには臓器提供者から臓器をいただかなければならないということです。それは、移植とは、人と人との関係で成り立つという必然的に感情的な治療であることを意味します。患者さんにとっては、移植を受けるか受けないかという決断は、自らの「生命(いのち)」について考えるだけではなく、人と人との「きずな」についても考えることにもなります。
大抵の患者さんは、いつ訪れるかわかならない死を意識されながら、孤独に悩まれているわけです。一方で、臓器提供者とその家族がいらっしゃいます。病気や突然の事故で脳死状態になり、生前の意思のもとに臓器を提供なさる脳死/心停止ドナーや、家族のために臓器あるいは臓器の一部を提供なさる生体ドナー、また、自らも移植を受けつつ、ほかの誰かへの臓器を提供されるドミノ移植の生体ドナーもいらっしゃいます。
愛するものの死や病気という最悪の状況のなかで、「誰かの喜ぶ顔が見たい」というまったくの善意によって臓器提供が成り立つのです。その方々の勇気から、私たちは「生命(いのち)」の大切さと「きずな」の大切さを感ぜずにはいられません。2010年7月、新移植法が施行される予定です。
ようやく日本でも欧米並みの移植医療ができるかも知れません。しかし、その前進のためには、これまで以上に「生命(いのち)」を大切にすることはもちろんのこと、「誰かの喜ぶ顔が見たい」と善意で臓器提供をして下さるドナーとその家族との「きずな」に感謝することが大事でないかと考えます。日本移植支援協会のさらなる発展を祈るとともに、「生命(いのち)」と「きずな」の移植医療を応援していきたいと思います。
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東京女子医科大学
循環器小児科教授
日本小児循環器学会理事
中西 敏雄 先生
UCLAとコロンビア大学と私
UCLA
アメリカ合衆国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)には、1977年から1983年まで留学し、循環器小児科の研究を行った。当時はまだ心臓移植はUCLAではやっておらず、留学中に心臓外科にラクス教授がエール大学から赴任してきて心臓外科の手術が増えようとしていた時代であった。私は、胎児や新生児の心臓の筋肉の収縮の機能がどのようにして成人の心臓まで発達していくのか、微細構造や細胞内のイオン環境がどのように変化していくのか、といった基礎的な研究を行った。当時は他の施設ではそのような研究はあまりされていなかった。
直接の上司はジャーマカニ教授で、循環器小児科領域の心機能研究では著名な先生であった。当時は、UCLAの循環器小児科には5人の教授がいた。その中には未熟児の呼吸窮迫症候群の治療に肺サーファクタントを考案し開発したフォレスト アダムス教授や、新生児の動脈管を開いたままにしておくためのプロスタグランジンE1の使用を考えたウィリアム フリードマン教授などがいた。日本からも多くの留学生が循環器小児科にこられていた。
ジャーマカニ教授のお宅は、映画スターなどが多く住んでいるマリブ海岸の山手にある。地図上ではロサンゼルスの上の郊外の海沿いである。それほど大きな家ではないが、海を見渡せ、はるかサンタモニカ海岸沿いの市街地も見渡せる。オレンジの木や畑もあり、庭でビールを片手に安楽椅子にすわればリゾート気分である。昨年UCLAを訪問したときには、心臓移植を担当しているアレジォス先生に新しくなった病院を案内してもらった。移植担当の外科医、看護師、工学士のチームとも会った。
その後、ジャーマカニ教授を訪問したのであるが、彼は別の用事があり、夜遅く家に帰るとのこと、冷蔵庫に何かあるから勝手に料理をして食べろ、と言われた。鍵をあずかり、パシフィックコースト ハィウェイを北上して、彼の家にたどりついた。まだ日も高かったが、さっそくビールをついで、海を見ながらいっぱい始めた。飲んで食べて、しまいには椅子で眠ってしまった。夜奥さんと帰ってきた彼に起こされ、また一緒に飲んで、いろいろ話して、彼の家で一泊した。朝は彼の手料理を楽しんだ。日本では経験できないリラックスしたロサンゼルスの1}日であった。留学から帰国してかれこれ25年経つが、いまだにロサンゼルスは「我が青春の街」のような気がしている。
コロンビア大学
ニューヨークのコロンビア大学と東京女子医大とは留学生の交流があり、女子医大から毎年2-3人の学生がお世話になっている。昨年、日本からの小児の渡航心臓移植の打ち合わせに訪問した。ニューヨークも東京と同じように地下鉄が発達していて、東京の渋谷、銀座といった特徴ある街がニューヨークにもある。寿司もおいしいし、ミュージカルもありで、何時行っても飽きることはない。数年前までは、私の親友がニューヨーク大学病院にいて、彼の高層ビルの最上階にある家を訪問していたものであるが、最近アイオワ小児病院の院長になって去ってしまった。
コロンビア大学プレスビィテリアン病院は、「世界のメディカルセンター」と自称し、全米で最良の病院にランクされている。ヤンキースの松井選手が手首をけがしたときに手術を受けた病院である。コロンビア大学プレスビィテリアン病院のなかにモルガンースタンレィ 小児病院がある。モルガンースタンレィ の名前は、この証券会社の社員が寄付を募って寄付した故に付けられた名前である。このようにアメリカの病院にはよく大口寄付者の名前が付いている。ちなみには、UCLAは、全体がロナルド レーガン病院、小児病棟はおもちゃの会社の名前で、マテル小児病院と呼ばれている。
心臓外科のチーフはドクター・クゥエゲビゥアで、発音しにくいので、病院のスタッフはDr.Qと読んでいる。彼はオランダのライデン大学病院で新生児大血管転換症の手術のすばらしい成績を挙げたことがきっかけになり、コロンビア大学に招請された心臓外科医である。心臓外科のスタッフは彼を含め3人で、あとはフェロー、レジデントが数名ずついる。病棟を見て回ったが、小児病院200ベッドの内100ベッドが集中治療室ICUである。小児科に60人のレジデント、76人のフェローがおり、年間50000人の救急患者をみるという。新生児ICUは50ベッドで、新生児の手術後にはそのICUに帰ってくる。
ひろびろとしたフロアーにぽつぽつと保育器インキュベーターが置かれている感じである。インキュベーターの横には親が泊まれるソファーベッドがある。 新生児以外の小児は小児ICUか小児科一般病棟に入院する。原則的に病室は個室で、少数の病室が4人部屋、2人部屋である。ちなみに差額ベッドはなく、すべて同じ料金である。どの部屋も親が泊まれるようになっている。小児ICUは、循環器疾患であれば、循環器小児科医が患者をみて、人工肺(ECMO)や補助循環装置(LVAD)が付けば、工学士が巡回する。入院費用は高額でICU一泊が6000ドル位(60万円)とのことであった。アメリカの小児病院では医療費が払えない患者さんもいるし、多数のスタッフも雇用されて人件費もかさむが、多方面からの大口、小口の寄付で助けられている。
循環器小児科のチーフはドクター・ウィリアム (縮めてビル)ヘレンブランド で、私の長年の知り合いで、夕食を含め温かいもてなしを受けた。昨年にはラスベガスで先天性心疾患のカテーテル治療の学会があり、彼が私を司会者のひとりとして招待してくれていた。彼から、循環器小児科のスタッフを紹介してもらい、各部門の説明を受けた。エコーやMRIの責任者はドクター・ウィマン ライで、最近ニューヨーク マウント サイナイ病院から移ってきた若い医師である。
循環器小児科エコーに携わる専属医師はなんと9人いて、さらに9人の技師がいる。年間10000}件のエコー、868の胎児心エコー、350のMRIをとるとのこと。胎児エコーの責任者は、ドクター・チャールズ クレイマンで、著名な方で、自身も心臓移植を受けていながら、現役で働いている。カテーテルのスタッフは3人で、ドクター・ヘレンブランドとジュリィ ヴィンセントとあと1人である。3人で年間1300件のカテーテルをこなしている。心筋症、心不全、心移植の責任者はドクター・リンダ アドニジオで、優しいベテランの女医さんである。
なんと循環器小児科のスタッフは常勤48人で、その他フェロー(日本の後期研修くらい)が18人いる。(レジデントは含まないで)常勤医師が66人循環器小児科にいることになる。その他、看護師はもちろんだが、nurse practitionerといって、医師とほとんど変わらない技能をもつ(例えば循環器に特化した)看護師もいる。移植後の患者さんはこのnurse practitionerに非常にお世話になる。医者以上に1:1の関係でつきあってくれる。
このめぐまれた陣容で循環器小児科、小児心臓外科部門が構成されている。週に一回は全員集合してカンファレンスを開き、1人1人の患者さんについて討議する。主治医と話していると、一人一人の患者さんのことをよく覚えていて、多くの患者さんをかかえているにもかかわらず、患者さんを大事にしている様子がよく感じられる。振り返って、我が東京女子医大循環器小児科のレベルは、少ないスタッフ数にもかかわらず、決してニューヨーク プレスビィテリアン 病院循環器小児科に劣っていないと感じた。患者さんの数の差はあるが、誇りをもって、世界一流のレベルであると言える。ただ小児の脳死心臓移植は我が国ではまだできない。一日も早く法律が改正されることを望むものである。
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国立循環器病センター
心臓血管内科/臓器移植部
加藤 倫子 先生
はじめまして。「専門家」の意見として寄稿させていただく事に少々とまどいを覚えながら文書を書かせていただいています。移植という分野において私はまだまだ未熟で、世界や国内の多くの「本当の専門家」の先生方・患者様方に日々教えを請いながら、診療に当たらせていただいています。
私は日本で一例目の心臓移植(和田移植)が行われた年に産まれました。私が産まれた年のニュースをスクラップしていた循環器医だった父を通して、移植医療への関心を持ちながら医学部に進みました。私が医者になった当初はまだ脳死下での臓器移植は行われていませんでした。学生時代に見学に訪れた病院で生体腎移植手術を見学させていただき、摘出したまだ血の通わない紫色の腎臓に移植手術で血液が流れ出したとたん、腎臓がパッとピンク色に染まり手術台の上で尿を作り出す光景に言い表すことの出来ない感動を覚えました。
長い透析期間の間ご自分で尿を作ることの出来なかった患者様が移植を受けまだ眠ったままお腹も開かれた状態なのに、頂いた腎臓で何年ぶりかで自分の尿を作り出している・・・。私が移植に携わりたいと思い、今も移植医療の分野で仕事をさせていただいているのはこの時の感動があったからかもしれません。
迷わず、見学した病院で研修医をさせていただき、腎臓移植を受けた患者さん、免疫抑制療法に携わる先生方から更に多くの感動を頂きました。そして、いつかは心臓移植に関わりたいとの思いを強くし、米国の心臓移植の現場で学ばせていただく機会を得たその年に米国にて「日本で最初の臓器移植法の下での心臓移植が成功した」とのニュースを耳にしました。和田移植の年に産まれた私が、初めて心臓移植の現場で過ごしたその年に日本で最初の脳死下心臓移植が行われたというのは何かの巡り合わせかな、と思いました。
その後、様々なご縁から国立循環器病センター臓器移植部で勤務する機会を得て、末期心不全の患者様、補助人工心臓を必要とする患者様、移植を終えた患者様がたの診療に携わらせていただいています。国立循環器病センターという、日本国内で最も多くの移植を手がけている施設で働き移植を待つ多くの患者様達と過ごさせていただき、まず、自分の無知に愕然としました。
移植を志した者として本当に恥ずかしく思いました。移植を待ちながら亡くなっていく方が余りに多いという現実、そして移植に至ったとしても殆どの患者様は病院から一歩も出ることも不可能な状態で、体外式補助人工心臓を付けて2年から4 年という待機時間を個室という空間で過ごし、その間に身体だけでなく心まで辛い思いをしながら移植を待っているのだ、という事実に愕然としました。移植後免疫抑制療法ばかりを一生懸命学び、移植を終えた患者さんをどう守るかに必死になっていた私には、この病院に勤務するまで見えていなかった現実です。情報として知り頭では理解しているつもりでも、患者さんと同じ目線で考え自分の痛みとして感じることはなかったのではないか?と感じました。
何とかしなければならない、強く思いますが、若輩の私個人の力で出来る事なんて目の前の移植患者さんの免疫抑制剤をマネージメントする位しかありません。私は現場の声を伝えることで、そして多くの患者さんや専門家の先生方、そして有識者の方々とともに、移植医療がこの国のこの国独自の形で良いでしょうから、広く受け入れられる医療として定着することを望んでいます。下記は、心臓移植の現場の医者として私が望むことであり、私がすべき事はしていきたい点です。
1,移植法改正への提言。現行法のままでは、救われる患者さんと救われない患者さんが生じます。日本国憲法で日本人は移植を受けてはダメだとしているのであればまだしも、現行の臓器移植法では、辛うじて国内で救われる人がいる一方で小児は救われない、また成人であっても渡航移植という辛いリスクの多い治療に命を委ねる選択をせざるを得ない方が存在します。生き続けるために移植という治療を選択した患者さんに、法律がレギュレーションとなり不公平を生じています。
2,成人移植待機患者の現状を社会に周知させること。移植法改正の議論は、小児の移植を可能とする点が注目されています。しかし、成人で移植という医療を生き続けるために選択した患者様でも、移植待機を始めてから4年も病院の個室から出ることが出来ない場合もあり、入院と退院を繰り返しながら7年も移植を待って過ごしながら、それでも移植か移植に至らずに亡くなるという状況です。成人患者様に、移植を受けたいなら「あなたは個室から約2年間は出ることが出来ませんが耐えられますか、でもあなたが耐えると言っても移植が出来るかは解らずその間に亡くなる可能性もありますよ。」と説明し、実際に2005年以降は全ての心臓移植は2年以上の緊急度の高い待機期間を耐えることの出来た患者様に対してのみ行われているという現状を、もっと法改正に関わる方々や社会に知って貰いたいです。
3,在宅型補助人工心臓の早急な整備。上述に繫がりますが、我が国では心臓移植を待つ間は年単位で退院できないという事を意味しますが、欧米では在宅管理の出来る補助人工心臓が主流です。我が国では10年以上の遅れをとっていると言っても過言ではない気がします。心臓移植の体制を整える上で、我が国でも早急に移植に至るまでの間、患者様の心身を(身体のみでなく“心”の状態も良く保つために)移植を受けるまで出来る限り万全に保てるよう、在宅型(埋込型)補助人工心臓が早急に認可されることを望みます。
4,移植という医療の地域格差を減らす努力。臓器移植に通じた医師と知り合いだった医者に診て貰った場合は、その患者さんには生き続けるための手段として移植というオプションが提示されます。でも、そうでないと、あなたの病気は治りませんと一刀両断に説明されてしまいます。移植医療という手段が日本全国で、同じ基準で同じ程度に状態が悪い患者さんに提供されている訳では無いことを感じています。移植という医療について、国内で地域格差が無いように色々な地域の方々(患者様・ご家族・いつ患者様の立場になるか解らないその時点では健康な方・医療関係者全てに)現場から情報を発信し続ける事は、せめて私に出来ることかと思っています。
私は循環器内科医ですから手術は出来ません。移植で救える患者様がいたら救いたいし、そのために補助人工心臓が必要、もしくは強心剤が常に必要となる患者さんがいたら、出来るだけストレスの無いようにマネージメントしたい、そして心臓移植後の患者様が辛い中で乗り切って移植に至った移植後の人生を安心して任せられる内科医でいたいと思っています。
日本人として産まれた我々が、公平に移植医療という治療の恩恵を格差なく受けることが出来る日が早く来る日を望んでいます。移植支援協会の活動が、そんな日が早く来るような社会の動きに繫がればと思います。
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せんぽ東京高輪病院
心臓血管外科部長
川合 明彦 先生
臓器移植法改正が行われ、平成22年1月17日から臓器の家族への優先配分が実施可能となりました。7月17日からのドナー対象年齢拡大に向けて、実際の運用面でのガイドライン作りが行われています。私も審議会の班員として1997年に臓器移植を日本で開始したときの公開性、公平性の原則を毀損せずに新しい運用ガイドラインを作成するべく携わらせていただいています。
移植医療において医学的な側面は、日本も欧米も変わることはありませんが、ドナーからの臓器提供はそれぞれの国の文化や倫理観に配慮がなければ受け入れられることも、日常臨床の一部として根付くこともできないと思います。医療とは無関係な一般の方でも、病める人の命を救うことができるという臓器移植の本質は世界中で共通ですが、臓器提供が、亡くなった方に対するさらなる負担であると考える方も日本には多くいらっしゃいます。特に小さなお子さんを亡くされた御両親ではその気持ちはなおさらでしょう。そのつらい気持ちを超えて臓器提供していただくためには、いくつかの条件があると考えています。
まず臓器提供について家族の自由意思に基づく合意があり、その合意は提供者の気持ちに沿ったものであること。死生感は個人的なものであるから、臓器提供することも、しないことも自由であり、どちらの決定も尊重されるべきであるという社会の合意が得られること。臓器移植を行う施設が移植をしてみたいという施設ではなく、移植を行う知識、経験、能力を確立している施設であること。 つまり提供者と家族の自由意思に基づく臓器提供の意志に対し、社会がその毅然とした勇気に尊敬の念を払い、その崇高な決断を公正な脳死判定のもとに次の命へと繋ぐことができるまともな移植施設があることであろうと思います。
今の日本はまだこの条件と満たしているとは言えません。小児の臓器提供は移植先進国である米国ですら大変少なく苦労しました。 この日本で果たして提供があるかどうわかりません。でも、だからといって失望するのではなく、だからこそ今やらなければならない時考えて、こぼれ落ちそうな命をひとつずつ紡いでいけるように社会に継続的に働きかけていくことが必要だと思います。
1969年7月20日アポロ11号が月の「静かな海」に着陸しました。同じ年にテキサスの病院で初めて人口心臓が臨床応用されました。この二つの大きなプロジェクトは、1961年にケネディ大統領が議会での演説で米国は1970年までに月に人を送り、人口心臓を開発して人に植込むと宣言し、それが実現されたものでした。その後アポロ17号まで6回の月着陸を成功させた計画は、現在のスペースシャトルへと受け継がれています。心臓移植は1967年から始まりました。
世界中で競い合うように心臓移植が行われた時期もありましたが臨床成績があまりよくなかったので、70年代に心臓移植をやめてしまう施設が数多くありました。その心臓移植にとって暗黒の時代と呼ばれた70年代の米国で心臓移植を続けていた二人の外科医がいます。スタンフォード大学のシャムウェイ教授とピッツパーグ大学のバーンソン教授でした。1981年の免疫抑制剤シクロスポリンの発見で移植医療の成績が向上し、心臓移植は重症心不全の治療として再認識され、1990年代以降は内科的治療の限界となった重症心不全治療の標準的方法として米国の治療ガイドラインに記載されるようになりました。一方、人工心臓の開発移植に比べると遅々として進みませんでした。抗血栓性材料、植込み機器の耐久性、感染症予防などが主な問題でした。
80年代後半に自分の心臓は摘出しないで装着する補助人工心臓が開発され、さらにそれを移植までの待機として使用するブリツジという概念が確立するにつれて初めて人工心臓が現実的な治療手段となりました。補助人工心臓は腹部などにも植込むことができるため設計の自由度が広がり、移植までのブリッジであれば機器の耐久性も問題とならないと考えられるようになりました。
また軸流ポンプ、遠心ポンプといった本来工業用の無拍動流のポンプが拍動流を作る心臓の補助として問題ないことがわかり、ポンプの性能向上、小型化が進みました。重症心不全の治療に対して私たちは技術の進歩から現在多くの治療手段をもつようになりましが欧米では使える高性能の小型補助人工心臓はまだ許可されておらず、移植も臓器提供が少ないために欧米では助かる命が日本では日本では救えないことがしばしばあります。そのような厳しい状況ですが、過去2年間を振り返ると臓器提供は少しずつ増えてきています。
小型の補助人工心臓も臨床治験を終わって2-3年後には一般的に使えるようになると思われますす。渡航移植のための募金に多くの方が参加してくれている社会の様子を見ていると、患者さんたちに社会が無関心ではないこしがわかります。その社会の関心がドナーカードについて考え、自分と家族の命、そして今失われるかもしれない”誰か`の命について考える時間につながることを期待しています。
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日本脳神経外科学会理事長
救急センターセンター長
(平成20年)
佐野 公俊 先生
「阿修羅」
脳神経外科という仕事柄、人の死に直面することは多い。実習に来た医学生に脳死は人の死だと思いますかく聞くと半数ぐらいの人がYes半数ぐらいがわからないか、Noと答える。それでは心臓死は人の死ですかと聞くと殆んど全員が{答える。一般に心臓死を人の死だとしているが果たしてそうなのだろうか。心臓移植を受けた人は、その時点で自分の心臓は死んでしまったのだからその人は死んだことになるのだろうか。また心臓移植は心臓が身体をもらったのだろうか。誰もそうは思わない。
また精密な人工心臓が出来たとしよう。電池は100年はもつような丈夫な人工心臓である。この人が交通事故で意識がなく呼吸も停止し、人工呼吸器がつけられた。さてこの人はいつ死ねるだろう。呼吸は人工呼吸でしている。心臓も人工心臓となった今止まる事はない。「全細胞死」は死だろうが髪の毛など3ケ}月程はもつ。もっと極論すれば何万年前の恐竜のから同じ恐竜が生き返ってしまう時代である。全細胞死での判定は無理と言わざるを得ない。部分死で判定しなくてはならないとなるとその人がその人であるというのはどこに存在するのか。
仮に脳移植が出来るようになったとしたら体が脳をもらったのか? 脳が体をもせったのか?顔も体も本人であるのに脳だけ違ったらー仮にA君が脳死になってB君の体は多臓器不全でこのままでは二人とも死んでしまう時、B君の脳をA君に移植したとしょう。A君の家族は喜んでA君元気になれたねといって迎えようとするだろうがそのA君はA君の体をもらった。
B君の脳が支配しているのでA君の家族に「この度はA君の体をいただき感謝しております。顔、体はA君なのですが私はBです。」というであろう。即ち体や心臓に本人が存在するのではなく、その個人たる存在は脳にあるということがわかる。純科学的に言えば脳死こそがその個人の死であった訳である。昔、呼吸器のない頃は、脳死=呼吸停止であるからこれで人は息をひきとっていたわけである。しかし呼吸器が出来て脳死では人は死ねなくなった。
呼吸器のついた脳死の判定は「難しい」時間もかかる。全員にこんな判定をしていたら時間も費用もとんでもないものになってしまう。そこで心臓死はわかりやすいし、心臓が止まれば10分もすれば脳は死ぬわけだから心臓死で代用しているのが現実であろう。
心臓死は本来人の死ではないので時に蘇りが有る事がある。だから24時間死体を安置し葬儀を行ってはならない。通夜が出来たのである。しかもそれは法律で定めている。
先ずはこの点をはっきりさせておく必要があったと思う。さもないと人工心臓を入れた人は死ねない時代が来てしまう。即ち科学的には脳死こそが人の死であるがこれを全員に行っていたら大変だし脊髄反射など誤解しやすい、一般的には心臓死で代用しよう。ただ人工心臓を入れた人や奇特にも臓器提供してくれるという人に対しては本来の死の判定を行おういうものではないか。だからといって脳死になったら全員臓器提供というわけではない。
人にはそれぞれ人情、感情、宗教、主義、主張があってしたい人はすれば良いし、したくない人はその必要もない。た
だ「他人がしようしているのを妨害する理由も権利もない」このあたりを本当は脳死臓器移植法の前にもっとよく国会でも、国民全体でも討議納得してもらってその上で法案が出来たらもっと違った展開になったものと思っている。
ところで話180度変わるが生きるということに関連して米国などでUFOやエイリアンの存在が確証されているとの話も時に耳にする。私はきっといるのではないかと思っている。しかし居たとしたら水のある星、即ち青い星でなくてはならない。
太陽系にはまずいないとすると銀河系のかなたか他の系からか、そうすると何万光年という距離がある。光の速さを持った乗り物で何万年もかかる、生物が生きられる時間ではない。時間を加えた四次元を変えることが出来るか不死の方法でもなくては辿りつけない。
人間は脳の1/3しか使ってはいない。全部使えたら恐らくエスパーが出来るだろう。世に霊視者、透視者などいる。殆どは偽者だろうけど中に本物がいてもおかしくはない。脳を2/3を使えばそんな能力も出るような気がする。しかし1万年は生きられない。可能性は・・・ある。
現代科学でクローンは作られる。コンピューターを介してでもよい脳の記憶を移すことが出来れば、自分の記憶を自分のクローンに移して自分の古い体から脱皮して体は消えていく。これを繰り返せば何年も行き続けられる。それと共にとてつもない科学の進歩がもたらされるであろう。そうすれば光の速さの乗り物も手に入れることが出来るかもしれない。
エイリアンが地球に来たとすれば恐らくこれらを克服しているはずであり、地球上の知能でかなうべきものではないだろう。そうするとエイリアンは頭でっかちの体力は子供程度かもしれない。もしエイリアンに会うことが出来たらば、私は彼らに尋ねたい。科学の進歩は本当に人や生物をそして宇宙を幸せにしているかそれとも滅亡に向かって突進しているのかと。その時、私はアフリカの小さな国には、文明の波が押し寄せそうになった時、そこの酋長が文明社会を視察して、文明は便利にはするが人の心を豊かにしてはいないとして文明の侵入を拒否したとのことである。
今の時代、丁度、脳死、臓器移植の法の作成の前に人間の死を一度考えておかねばならなかったように人間の真の幸せとは何かということを今、しっかりと考えて明日に向かうべき時が来ているように思う。阿修羅は、もとはインド古来の異教の神で戦い好きな鬼神でお釈迦様の邪魔ばかりしていましたがお釈迦様に余りに近づき過ぎて真実を知ることとなり、お釈迦様に帰依して仏教を守る八部衆に入ったと言われる神様です。今のような時代にこそ真実を知り、人の成すべき道を考え、世の中における自分の存在意義を見つめ直し、自分の出来る事を全身をもって努力する。そんな生き方は古いかもしれないが今の世の中に欠落し、しかも必要とされているもののように思う。
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聖マリアンナ医科大学病院
消化器肝臓内科
(平成19年)
松本 伸行 先生
最初に告白しなくてはいけない事があります。私は肝臓内科医としては恥ずかしながら、移植後の患者さんの Quality of Life( QOL) の向上について誤った認識を持っておりました。即ち、移植医療の発達により、移植手術後の患者さん及びその御家族がどれほどの恩恵を受けるのか、その恩恵の大きさを十分に認識しているとは言えませんでした。
その認識を変えてくれたのが、プロスノーボーダーのクリス・クルーグ氏です。彼は原発性胆汁性肝硬変に罹患して肝移植を受けました。そ して術後たった数ヶ月で現役に復帰し、18ヶ月後のソルトレイク 冬季オリンピックで銅メダルを獲得しました。米国留学中に彼の自伝と出会った時、彼の強い心と、純粋な感謝の気 持ちに感動すると同時に、大きな衝撃をうけました。
そして、「自分が日本で行ってきた医療は正しかったのだろうか」「移植医療の門が大変 狭くしか開かれていない事を理由にするだけで、それをこじ開ける努力を怠っていたのではなかろうか」と自問する事となりました。その反省を一つの動機として、クルーグ氏の自伝『To the Edge and Back』を翻訳する事を決意し、2007年2月「奇蹟が僕に舞 い降りた」という邦題で出版致しました。一方で、2005年に帰国した私は、留学中の数年間で肝移植治療 が日本の医療者にとって以前よりずっと身近になった事を感じました。
そして、劇症肝炎の患者さん等において、移植医療の奇跡を実感する 頻度がふえたのと同時に、様々な理由で肝移植という治療選択肢を閉ざされてしまう患者さんを目の当たりにする事も増えているように感じます。後者のような事例の最大の原因は、一般の人々の意識と現状との ギャップに起因する、深刻なドナー不足にあると思います。世界では珍しい事に、日本では生体肝移植が肝移植の主流となっています。そして、生体肝移植手術の件数は年々増加の一途をたどっており、1995年には年間10例だったのが、2005年には年間561例まで増えて来ております。
一方、脳死肝移植は10年近くの間に、ようやく第50例目の手術が施行されたに過ぎません。肝移植手術によって救われる患者さんを増やすためには、脳死ドナー からの肝移植を増やす事が必須だと思います。まずは健康な人たちの間で、脳死の臓器移植についてオープンな議論 が広まる事が大切だと思います。そのためには、移植医療が、暗い事件 の時のみでなく、普段の会話の中で語られるようになる事が必要なのだと思います。
たとえば、臓器提供意思表示カードを持つ事についてですが、臓器提 供をしたくない人にももっと持っていていただきたいと思います。臓器提供意思表示カードは「意志」を「表示」するものですから、臓器提 供に反対の人も持っていて良いものです。臓器提供に賛成の人も反対の 人も、お互いの意見を押し付ける事なく、この問題について、多くの人 たちにご自身の立ち位置をしっかりと見つめていただきたいと思います。そうする事で裾野がひろがり、移植医療の山が高くなって行って欲しいと思います。
最初に述べました通り、私は移植後の患者さんのQOLの向上に ついて誤った認識を持っておりました。けれども、もしかすると、意味 合いは多少違えど、同様の事が患者さんにも言えるのかもしれません。クリス・クルーグ氏はニューヨークのマウント・サイナイ医科大学の 講演でこう語ったそうです。「私は自分の具合がどれほど悪かったの か、移植をうけて初めて認識できました。」申すまでもなく、日本における移植医療の現状はこの他にも解決すべ き課題を抱えているものと思います。現時点で私達の施設では肝移植医 療を行っている訳ではありませんが、私は、現存する数々の問題が一つ 一つ解決され、一人でも多くの患者さんが、クルーグ氏と同様の気持ち を実感できるようになって欲しいと思います。
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大阪大学医学部付属病院
小児外科医院
(平成18年)
上野 豪久 先生
はじめに
私は、昨年末に帰国するまでダラスのベイラー大学医療センター、マイアミのジャクソン記念病院にて、移植外科のフェローとして4年ほど働いてきました。最初の3年間はダラスにて大人の肝移植、腎移植に携わり、後の1年間はマイアミで、子どもの肝移植、小腸・多内臓移植に携わってきました。ドナーの善意によって、魔法のように患者さんを治すことができる移植は私にとって非常に魅力的であり、尊敬する師匠にも恵まれ、移植医療の最前線を学んでくることができたと思います。
海外で移植を受けるということ
その中では日本からいらっしゃる患者さんのお世話をさせていただくこともありました。もちろん多くの患者さんは無事に日本に帰ることができました。近年では海外で移植をするということが一般的になったのか、日本で報道されることもしばしばあります。
しかし、患者さんとその家族は言葉に表せないような苦労があります。日本にいても見知らぬ土地で医療を受けるのは気がひけるのに、まして言葉の通じない外国でのことです。最近の厚生労働省の報告でもあったように、中国での移植などは倫理的な面もありきちんとした経過観察がなされていないのが実情のようです。もっとも、そんな過酷な海外での移植医療の現場でも、日本で、また現地で日本移植支援協会のような大きな団体から、それこそ個人レベルまで多くの方が支えてくれていました。
ダラスでは以前移植を受けられた日本人の牧師さんを縁に、日本人教会の方々がボランティアで非常に献身的なケアをされていました。日本では海外の移植で成功した例を多く報道していますが、その中には不可抗力な合併症で亡くなられた方もいます。せっかく移植にこられても奥さんが遺骨を胸に帰国しなければならないということもありました。米国では外国人が移植を受ける事に関しては、地元の報道も含めて比較的好意的に取られています。特にダラスやマイアミは外国人が多いこともあり、このあたりは好意的だったのかもしれません。
日本での移植
日本に帰国してからは小児の移植に携わっていますが、当然のごとく生体肝移植を行っています。今まで、脳死肝臓が前提の移植にのみ携わっていたので、生体肝移植というものが自然に受け入ているのは、感動的なものでした。日本の患者さんたちからは「海外に行く人たちにはあんなに募金が集まるのに、なぜ私たちには集まらないの。」という声を聞きます。たとえば日本で小腸移植を受けようとしても、あんなに募金が集まるかどうかが疑問です。
最近の海外での移植に対しての募金の集まり方を見ると、決して移植の関心が低いわけではないと思います。これだけの関心があるのならば、その関心を国内で移植することに向けることは決して難しいことではないと思います。今後、国立大学の民営化に伴って従来のように公費にて移植をすることは難しくなってくるかと思います。そのため、小腸移植などは経済的な負担のため実質上断念しなければなりません。この点においても、何らかの経済的援助を行う必要があるかと思います。
脳死と臓器移植
3月末には、臓器移植法案が再提出されました。小児移植に携わる私としては小児の臓器提供ゆるす法律改正は是非とも実行してもらいたいものです。脳死を人の死とすることには今でも根強い反対があります。移植医療や脳死への無理解があるといわれていますが、最近のドナーカードの普及率を考えると、一般の方々の脳死への無理解というよりは、医師や看護師など医療従事者の側に十分な理解が無いと思われます。
実際最近の厚生労働省の調査でも「脳死を人の死」と認めている医療従事者は4割程度であり、一般の人への理解を求める前に、医療従事者への教育が必要になっているかと思います。この点においては、アメリカでも臓器バンクの職員がICUや救急を回って啓蒙活動に勤めていたことが思い出されます。移植の適応疾患についても、まだまだ一般の外科、内科、小児科の先生方に、どのような疾患が移植適応となるのか理解が得られない場合があると思われます。
日本移植支援協会に望むこと
日本では小児外科の一部として始まった肝臓移植が、移植外科として大人の移植を中心に行われるようになった今日この頃、私としては小児外科疾患の延長として、肝移植、小腸移植を進めて行きたいと考えています。現在、小腸移植が認知されているとは言いがたいですし、小児のドナーが認められていない以上多内臓移植が国内で行われることは残念ながらありえません。小児移植医としては、日本から海外と同様に医療を受けられない子供たちが無くなってほしいと考えています。今後は、国内の状況を改善するために、国内で移植を受けるための経済的支援活動や、移植に直接携わっていない医師と医療機関とをつなぐこと、医療関係者向けの脳死の啓蒙活動などもしていただけたらと思います。
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フロリダ大学
移植外科助教授
(平成20年)
藤田 士朗 先生
<見捨てられた日本人患者>
つい最近、フィリピン政府が今後外国人には移植を行わないことを発表しました。中国でも外国人に対する移植は制限されてきています。今まで移植難民と呼ばれてきた日本人の患者さんは、今後、海外の行き場所さえも失ってしまうのでしょうか。
2008年4月28日現在、米国で移植を待つ患者さんの総数は98525人です(心臓2658人、肝臓16367人、腎臓75629人、肺2098人、膵臓1627人、小腸228人)。それに対して、2007年1年間に移植された臓器の数はそれぞれ、心臓2210、肝臓6227、腎臓10587、肺1466、膵臓469、小腸197でした。
日本では1997年に脳死移植を容認する法律ができましたが、それ以来この10年間で70あまりの脳死ドナーからの移植が行われたにすぎません。脳死ドナーの数は米国が年間6000人あまり、日本が6人といったところでしょうか。米国の人口が日本の約2.5倍であることを考慮しても、400倍以上もの開きがあります。
最近の世論調査では、多くの日本人が移植を知っており、臓器ドナーとなることに賛成しているにもかかわらず、ドナーカードにサインしている日本人は一握りに過ぎません。生体ドナーがいない患者や脳死ドナーからしか移植を受けられない心臓病患者は海外で移植を受けるか、あきらめるしかありません。
平成17年度の厚生労働省による「渡航移植者の実情と術後の状況に関する調査研究」(班長 自治医科大小林英司教授)によりますと、これまでに少なくとも522人が渡航移植を受けており、1997年の臓器移植法施行後も渡航移植に歯止めがかかっていない実態が明らかになりました。
なぜ、日本では臓器移植がこのように極端に少ないのでしょうか。和田心臓移植の後遺症、宗教的背景、文化の違い等がその答えとされてきました。そうでしょうか。文化や宗教背景のある程度似かよった、さらに儒教的思想のある、お隣の韓国や中国では、はるかに多くの移植が行われています。日本で臓器移植がこれほどまでに遅れてしまった原因は、ひとえにリーダーシップの欠如と考えます。批判を恐れて、何もせず、無難に職務をまっとうしたものの方が、困難な局面に挑戦する勇気ある人間よりも高く評価される日本社会を変えていく必要を強く感じます。
潜在的なドナーを見つけ、医学的マネージメントを行い、一般市民を教育し、病院と緊密な関係を保つといった具体的なプログラムを早急に作り上げなければなりません。移植関連法案を含めて、いかにすれば、もっとドナーを増やし、臓器移植を受けなければ死んでしまう待機患者に貢献することができるかを真剣に考えるリーダーが必要です。生体腎臓移植の手術点数を減らすのではなく、献腎移植の点数を増やし、また、大いに発展する可能性のある病腎移植(修復腎移植)を官民、そして医学会ともなって進めていくべきでしょう。
日本国憲法 25条
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
先ほどの、フィリピンの件に関しても、世界の移植関係者からの、「自国の患者は自国のドナーでまかなうべき」という強いメッセージがあったためと聞きます。
日本国憲法に示された理念が真に実行されるような日本にならないと、日本は移植の世界において孤児となってしまうのではないかと危惧します。
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コロンビア大学病院
(平成20年)
加藤 友朗 先生
医学部を卒業して外科の研修医を終えるころ、アメリカで臨床の勉強をしたいと思って選んだのが移植だった。その当時、心臓停止下での臓器摘出でのいわゆる献腎移植や生体ドナーからの腎移植は行われていたが、肝臓移植を学ぶことは日本ではほとんどできなかったので。
医療従事者でない方にはあまりお分かりにならないと思うが、腎臓移植は当時の日本では主に泌尿器科の先生方と一部の腎臓専門の外科の先生方で行われていて、一般外科の外科医が行う(行おうとしていた)のは主に肝臓移植だった。 今でも一般外科(消化器外科)でいう移植とは主に肝臓移植であるのに変わりはない。
アメリカの移植医療はとても魅力的なものだった。拙著「移植病棟24時(集英社)」にも書かせてもらったが、アメリカでの研修医時代に出会った急性肝炎の若い女性の見違えるような回復は、移植医療の力強さを強烈に感じさせられ、今でも鮮明に覚えている。 この患者さんは、交通事故で肝臓破裂をおこし集中治療室に入院していた20代の患者さんだった。肝臓からの出血はかろうじて止まったものの肝臓に行く動脈を止めてしまったのがきっかけで急性の肝不全に陥っていた。
救急部からの要請で移植適応の判断のためにICUに見に行ったとき、僕の目の前でこの患者さんは心肺停止に陥った。 急性肝不全の患者の心肺停止。 これはほとんど助かる望みのない状態である。 しかしそこからの懸命の蘇生処置と緊急の肝移植でこの患者さんは一命を取り留めた。 しかも一命を取りとめたどころかわずか数週間で歩いて退院していったのである。
日本での移植をめぐる状況はその当時(1995年)と今ではだいぶ変わった。日本でも生体肝移植の進歩できっとこんな状況の患者さんでも助かるようになったのではないかと思う。しかし一方で移植が必要な患者さんの多くが移植を受けられるようになったかというとそれはまだまだである。
アメリカは移植大国で移植件数は世界一多い。 そのアメリカと日本を単純に比較してもしょうがないのだが、アメリカで2006年に行われた肝移植は脳死ドナーからのものと生体ドナーからのものをあわせて6650件(うち生体ドナーは288件、脳死ドナー6362件)(http://www.optn.org/ より引用)。
一方同じ2006年中に日本では510件の肝移植が行われ、うち生体肝移植が505件、脳死ドナーからのものは5件だけである (トランスプラントコミニケーションより引用http://www.medi-net.or.jp/tcnet/ )。 日本でもアメリカと同じように移植が行われる必要があるとすると、日本とアメリカの人口比を考えてもかなりたくさんの方が、日本では移植を受けられずに亡くなっていることになる。
最近、外から日本の報道を見ていて、移植に対する見方が変わってきていることを実感することがよくある。いま日本で一般の方に「あなたのお子さんが臓器移植でしかたすからないといわれたらあなたはお子さんに移植を受けさせますか?」という質問をしたら答えはどのようになるだろうか(募金活動などをしなくてよく、日本で受けられるとしての場合)。 おそらく100%近いかたが「はい」と答えるのではないだろうか。 これは実は画期的な変化でないかと思う。 おそらく10年前に同じ質問をした場合、「いいえ」と答える人もあまりいなかったかもしれないが、「はい」の人は少なく かなりの人が「わからない」と答えたのではないか。 これは移植という医療が一般の人々に理解されていなかったからである。 そういう意味では移植への理解は確かに進んだ、では次に進むためのかぎは何か。
「あなたのお子さんが脳死になったら臓器提供を考えますか?」という質問を考えてみて欲しい。 この質問の答えはどうだろうか。 おそらくこれには、10年前でも今でもほとんどの人が「いいえ」になるのではないかと思う。 先ほどの質問とこの質問は同じことの裏表のようなところがある。 移植医療には脳死ドナーでなければできないものもあるからだ。僕はこの二つの質問のギャップを埋めることがこれからの課題だと思う。 誰でも自分の子どもが脳死になることなど考えたくはない。 まずは自分のことから始めてみよう。 今現在、健康な人が、将来移植が必要な状態になる可能性と脳死になる可能性はどちらも低い。 しかしどちらもゼロではない。
移植が必要になったときに移植を受けたい人には脳死になったときの臓器提供にも同意してもらう。そんな考え方はどうだろうか。 僕はもちろん脳死ドナーとして登録している。 それは移植医療をするものとして当然であるが、一方で僕に移植が必要になったときも移植を受けたいし、僕の家族にも受けさせたいと思っている。そんな考え方が2つの質問のギャップを埋めるかぎではないだろうか。 そして移植医としての僕の役割は移植医療をより魅力のあるものにすること、理解してもらうことである。 そして移植医療を受けたい人が日本でも増えれば、自然に日本にも定着して行くのではないか。そんな風になってくればよいと僕は思うのだが、みなさんはどうだろうか。
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国立成育医療研究センター病院
手術集中治療部
(平成19年)
鈴木 康之 先生
<私と移植医療のつながり>
私が移植医療のことを真剣に考え始めたのは1997年1月に国立小児病院のICUに入室した拡張型心筋症の5歳の利奈ちゃんとの出会いでした。利奈ちゃんは徐々に悪化する心不全の治療のためにICUに入室しました。利奈ちゃんは心不全からくる倦怠感と肺うっ血による息苦しさに必死に耐えていました。
それを少しでも楽にしようと我々は強心剤や利尿剤の治療をほどこしましたが、なかなか効を奏してくれません。父親が娘の渡航移植を苦渋の決断した時には、すでに残された時間はごくわずかで、とても間に合う状況ではありませんでした。病状は末期で徐々に悪化し、ICU入室後数日で永眠されました。苦しいと訴えていた利奈ちゃんの姿と移植に踏み切るのが遅かったと悔いる父親の涙を今も忘れることはありません。
その利奈ちゃんとほぼ同時期に拘束型心筋症の5歳のM君が心不全症状の悪化でICUに入室しました。M君は我々の治療が効を奏し、心不全が軽快し、比較的良い状態で渡航移植の準備ができ、渡米することになりました。M君はロサンゼルス渡航後に心臓移植待機患者となり、UCLAで第一回目の心臓移植を受けましたが、突然移植心臓が機能しなくなるという不幸に見舞われました。しかしECMO(人工心肺装置)を装着してICUで約1ヶ月待機しながら再度臓器提供があるのを待ち、再移植を受け、10数回の手術の末、無事帰国を果たすことができました。今も元気に我々の病院に通院し、今年でもう移植後11年となります。
早くから移植を考えたM君は元気に帰国し、利奈ちゃんはICUでなす術もなく、息絶えるという明暗を分けた2名の患者の経験から、私にとっては移植という素晴らしい医療への迷いはなくなりました。私は子どもの心臓移植後の5年生存率80%という数字に興奮し、数千万円や億をこえる多額な医療費や異国の地で治療を受けなければならないという障壁はたいしたことではないと考え、移植医療に対して信頼と期待をし、努力を惜しまない決意をしました。
その数ヶ月後の1997年3月に関わったのが美佑紀ちゃんで、私が最も苦労した患者さんの1人でした。美佑紀ちゃんは当時8歳の可愛い女の子で、出生直後に先天性心疾患の診断で手術を受け、その後元気に成長しましたが、大動脈弁閉鎖不全症の手術を受けました。その術後から心機能低下が著しく、余命数ヶ月と循環器科の百々先生から宣告されました。
両親が渡航移植を決断し、準備をしている最中にも美佑紀ちゃんの状態は徐々に悪化し、ICUに入室となり、渡米を予定していた1週間前に人工呼吸器が必要となりました。これでもう渡米は無理かと私は思いましたが、人工呼吸管理を開始してから渡米できるぎりぎりの状態まで安定しました。そうは言っても人工呼吸器管理と4台のシリンジポンプで4種類の強心剤を投与しているような重症な循環不全状態でした。
その状態で循環器科の百々先生、麻酔科は宮坂先生と私と、看護師は小児病院OGの安行さんと武内さんの5人で心臓移植患者搬送医療チームをつくり、UCLAへJAL定期便で搬送をおこないました。渡米の直前2週間は渡米の準備や航空機搬送のJALとの打ち合わせの他、マスコミの対応など大変忙しく、直前の7日間は1日12時間以上をそのことに費やし、他の仕事は全く手につかない状況でした。1日に何回もマスコミから電話があり、その対応にも苦慮いたしました。
無事に渡米した美佑紀ちゃんは当然重症患者としてUCLAの心臓ICUに直接入院し、移植のリストの一番に載りましたが、長時間の搬送の影響もあり、状態がさらに悪化し、UCLAでの集中治療もむなしく待機中に死亡、生きて日本の地を再度踏むことはなく棺での帰国となりました。移植医療の中でも渡航移植というかなり困難な道を登りつめ、UCLAまで到達しましたが、最後のハードルを乗り越えることができない悔しさを痛感しました。
ちょうどそのころ日本では臓器移植法案(中山案)が衆議院で審議され、日本でも臓器移植医療が29年間の闇をくぐり抜け、少し明るい兆しが見えてきたこところでした。渡米直前に母親の多恵子さんから、「法律ができたら、美佑紀は渡米しなくても良いの?」という質問があり、「美佑紀ちゃんは間に合わないけど、きっともうすぐ日本でも心臓移植で子どもが助かるようになると思うよ。」と返答した記憶があります。美佑紀ちゃんが亡くなって半年後の1997年10月に法律は施行されましたが、実際は15歳未満の臓器提供は不可能ですし、生前の本人の意思表示がなければ脳死からの臓器提供はできないという厳しい制限のある法律です。
その後も私たちは思い悩んで渡航移植を決断してきた何組かのご両親のために、できる限りの努力を惜しまず誠心誠意手助けをしてきました。渡米するまでにこどもの状態は徐々に落ち込みます。そのたびに子供をより良い状態に保つため、ICUでの治療をおこない、また搬送の準備、長時間におよぶ搬送のための搬送チームをつくり、搬送機材の手配や移植患者受け入れ施設とのやり取りをおこない、まさに時間との戦いでした。
医療面では患者さんができるだけ安定した状況で搬送できるように、また不測の事態にも対応できるように医師3名看護師2名以上の搬送チームによる航空機搬送を計画しました。また精神面でのサポートとして、渡航先の地元ボランティアの方々やすでに渡航移植を終えた患者さんを紹介したりし、慣れない異国の地での闘病生活を少しでも楽にしてもらうようなサポートも惜しみませんでした。
そうこうしているうちに心筋症の小児患者さんが他院からも紹介されるようになり、短い時間を有効的に使って、過去の経験をもとに重症患者さんが渡航移植できるようなシステムを作成しました。私が最後に渡米搬送した患者さんは2003年11月の結菜ちゃんで、生後5ヵ月の小さい可愛いい赤ちゃんでしたが、例外なく重症で人工呼吸器と3種の強心剤治療をしながら渡米しました。残念ながらUCLAのICUで待機中に重症感染症のため移植リストからはずれ、その後亡くなられたという痛恨の患者さんです。
私は今まで移植医療を通して多くのことを子どもたちやご両親や周囲の方々から学び、かけがえのない物や友人を得ました。亡くなられた患者さんの家族とは友人としての付き合いを続けています。また美佑紀ちゃんの渡航移植のときに成田までの搬送を自ら志願してくれた救命士の水野さんとは親交を深め、今は難病のこどもたちのサマーキャンプに毎年ボランティアとして参加していただき、子どもや家族のサポートをしていただいています。その水野さんは現在最も経験豊富な重症患者の航空機搬送のことがわかる救命士さんです。
現在私の移植医療とのかかわりは、当院でおこなっている小児の生体肝臓移植がほとんどになりました。今は大変気が楽です。患者さんは体重が4kgしかない胆道閉鎖症の術後末期肝硬変で重症のこともあります。劇症肝炎ですぐに移植しなければ救命できないこともあります。それでも心臓移植の時ほど待ったなしといいうことはありません。なによりも国内で生体移植が可能なため渡航する必要もなく、健康保険で治療ができるので募金活動も不要です。本人やご家族の負担は著しく異なります。
許先生が移植医療以外の治療方法として長時間使用できる補助人工心臓の開発ことを記事に載せていましたが、私も同意見です。今後は人工臓器つまり人工心臓や再生医療といった新しい切り口の医療技術の発展が必要でしょう。近い将来小児の脳死患者からの臓器提供が認められたとしても、おそらく救命できるこどもの患者数は限られています。わが国のみではなく、世界的な移植臓器の不足は否めない現状です。
不全臓器を抱えて困っている小児患者の数と移植提供臓器数のアンバランスはわが国のみではなく世界中どこでも同じ傾向です。そのような現状では新しい方法を考えなければ、救命できる患者の数は増えないのは当然です。しかし、小児用の人工臓器も再生医療も確立するには何年もかかり、すぐには問題を解決してくれません。今現在どうしたら、一人でも小さい命を救うことができるかと考えると、やはり小児の脳死患者からの臓器提供の問題を早期に解決することが最優先でしょう。
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東京大学胸部外科
(心臓外科)
22世紀医療センター
重症心不全治療開発講座
特任教授
許 俊鋭 先生
「移植待機患者さんのQOLの高い在宅治療実現のために、小児の移植待機患者さんのために最新の補助人工心臓の早期導入を!!!」
2009年7月に臓器移植法が改正され、小児重症心不全患者さんにも国内移植の道が開かれようとしています。しかし、法的に心臓移植が可能となっても実際にドナー心の提供がなければ移植手術を受けることはできません。一方、これまで国内で心臓移植を受けることがほとんど不可能と考えられた10歳以下の小児患者さんに移植の道が開かれるということは、我々医師には患者さん・ご家族に対して「心臓移植によって救命できる可能性」を説明し、インフォームドコンセントを得る義務が生じることになります。
本年度から小児心臓移植登録患者さんは増加していくものと考えられますが、成人患者さんと同等、あるいはそれ以上の待機期間を覚悟しないと小児患者さんは心臓移植に到達できない可能性があります。
私は、これまで東京大学病院と埼玉医科大学病院で8名の15歳未満の心臓移植を必要とする子供さんに成人用の東洋紡補助人工心臓装着手術を経験して参りました。一番小さなお子さんは3歳(体重16kg)でしたが、8名中に東洋紡補助人工心臓の体重限界とされる20kg未満の患者さんが3名含まれておりました。
全員が補助人工心臓手術成功し、心不全や全身の臓器不全を克服した後、全例米国や独逸に渡航されました。残念ながらお一人だけ渡航8ヶ月後に広範な脳梗塞を合併され、移植適応除外となってしまいましたが、他の7名の方は心臓移植に成功し帰国されました。現時点で7名全員が復学し、元気に日常生活を送っておられます。
今後、国内で待機される小児心臓移植患者さんが増加すると考えられますが、現時点で心臓移植へのブリッジに使用できる保険償還可能な補助人工心臓は成人用東洋紡補助人工心臓しかありません。欧米で心臓移植へのブリッジに用いられている植込型補助人工心臓は日本では市販されておりませんし、EXCOR(Berlin Heart 社製)などの小児用補助人工心臓も日本には導入されておりません。
これまで10年間に本邦で実施された心臓移植69例中60例までが移植前に補助人工心臓のブリッジを必要とした患者さんです。移植実施施設の心不全病棟は入院治療が必要な東洋紡補助人工心臓装着患者さんで常に満床であり、私どもの病院でも各地の循環器内科の先生方から補助人工心臓治療のご依頼を頂いてもお引き受けできない状況にあります。これ以上補助人工心臓ブリッジ治療を進めるには、在宅治療が可能な植込型補助人工心臓の臨床導入が不可欠であります。まして、小児の心臓移植が始まった場合、小児移植待機患者さんを何処でどのように治療して長期にわたる移植待機期間を克服するか、想像するだけで頭を抱えてしまいます。
現在、日本心臓血管外科学会より小児用補助人工心臓EXCORを「医療ニーズの高い医療機器」としての認定を厚生労働省に要請しておりますが、早急な臨床導入には多くの困難が予測されております。また、植込型補助人工心臓も平成19年に4種のデバイスが「医療ニーズの高い医療機器」として認定されましたが、平成22年4月の時点で市場にはまだ一つも出て来ていません。私は補助人工心臓治療関連学会協議会(6学会1研究会で構成)代表として、日本心臓移植研究会代表幹事の松田 暉先生とともに、厚生労働省関係各部署並びに小沢民主党幹事長に対して「植込型補助人工心臓におけるデバイス・ラグの解消と新たな機種への適切な保険償還」を陳情してまいりました。
心臓移植待機患者さんを始めとした重症心不全患者さんの生命維持装置である補助人工心臓には、以前より海外との格差、デバイス(医療機器)・ラグといわれる深刻な事態が続にいています。我が国の末期的心不全患者さんの補助人工心臓治療を海外並みにすべく、心臓移植や人工心臓に関係する学会、研究会が協力して要望してきた次第です。また、小児用の補助人工心臓の早期導入についても厚生労働省や国会に働きかけていく必要があると考えています。現在1万人を目標に患者さんならびに関係者の陳情書に対する署名運動を行っています。支援会の皆さん方も是非、この署名運動にご参加ください。署名用紙は日本胸部外科学会ホームページよりダウンロードでき、集めて頂きました署名はFAXで日本胸部外科学会事務局にお送り頂ければ幸いです。
「移植待機患者さんのQOLの高い在宅治療実現のために、小児の移植待機患者さんのために最新の補助人工心臓の早期導入」を皆さんとともに力を合わせて積極的に進めていきたいと考えています。
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日本大学医学部
外科学講座心臓
血管外科部門
(平成16年)
瀬在 明 先生
日本で臓器移植法が施行され8年が経過し、この間に行われた臓器提供は36件にとどまっています。一方では国内での移植をあきらめ、海外へ渡航する移植待機者、そして家族も少ないのが現状です。日本の移植医療を推進させるにはどうすべきか、本当に日本に移植医療は定着するのかなど、様々な問題を明らかにするために、平成16年7月3日に日本大学主催で、第1回臓器移植公開講座“ハートtoハート”を行い、そして今年も6月25日に第2回目を無事終了いたしました。本会は移植を知らない人に一人でも多く、移植医療を理解していただくことを最大の目的とし、開催しております。
私自身「ドイツ・バードユーンハウゼン心臓センター」に3年間留学し、日本からこられた患者さん、そしてご家族と一緒に異国での移植医療の大変さを痛感しました。何とか日本の移植医療を進めなければと実感し、南教授のご指示をうけながら、まず何かアクションを起こさなければならないと考え、私自身の力では多くのことをできる訳が有りませんので、まずできることをということで本会を開催しました。
現状のまま国内移植が進まず、渡航移植が増えれば、国際問題にもなりかせません。移植が日本に定着しない理由には宗教観の問題がよくあげられますが、それは事実ではないと考えます。最大の理由は国民が理解していないこと、つまり国が国民に十分説明していないことであると思います。海外でも日本同様ドナーカードというものはあります。
しかし実際にドナーカード所持者からの臓器提供は10%以下といわれています。ほとんどは家族の意志にまかされます。臓器提供を拒否する人の意思を尊重するのは当然として守られるべきであると考えますが、今後は欧米同様、意思表示が不明の場合、つまりドナーカードを持っていない場合は家族の判断に委ねるという法案改正を推進することにより、深刻なドナー不足は多少改善すると思われます。さらに教育現場での説明や家族内での話し合いなどを増やすことで、より多くのドナー確保になると考えます。
日本では,今まで移植関連の研究会、討論会などは数多く行われてきました。しかし、それらの参加者は移植医療を知っている人であり、そこでいかなる討論を行っても、何らドナー不足は解消されません。海外でもドナー不足は問題となっていますが、移植医療に賛同するスポーツ選手、芸能人らが中心となって、移植医療を理解してもらうためのキャンペーン活動を定期的に行っています。それにより徐々に浸透し、移植医療が1つの医療として歩んでいます。
移植が受けられず亡くなっていく患者さんが数多くいること、また明日、自分自身や家族が移植を必要となる可能性があること、つまり移植医療が身近な医療であり、体験者の話から“移植をするとこんなに元気になる”という現実を一人でも多くの人に理解していただくために今後も本会を継続し、キャンペーン活動を行っていきたいと考えています。 "助かる命を助けられる国”にできればと思います。
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東北大学大学院
医学系研究科
外科病態学講座
先進外科学分野
(平成16年)
里見 進 先生
我が国において生体肝移植は2004年の12月末日までに約2600例が施行されています。健康な人にメスを入れることで成り立っている生体肝移植ですから、肝臓の一部を提供したドナー方々の健康については当然のことながら十分に配慮がなされるべきです。しかしながら、現実にはレシピエントの予後や成績に関心が集中するあまり、生体肝移植を支えてきた一方の当事者がおろそかにされていた感があります。
「死なさない 絶対に!!」―生体肝移植を選んだドナーと家族の葛藤―は実際にドナーとして肝臓の一部を提供した中津洋平さんが書かれた本です。家族愛の究極の姿としてとらえられ、一見、誰もが疑念を挟むことなく進められている生体肝移植にも、移植に至る課程には家族内で葛藤や逡巡、自責の念等の様々な迷いがあることが丁寧に描かれています。生体肝移植を進めてきた一移植医としては、複雑な思いを抱かずにはおられない内容でした。
一昨年に肝移植研究会が各移植施設からのデータを集積した結果からは、ドナーの皆さんには医学的な身体上の合併症だけでも約10%強あることが明らかになっています。これに手術前後の精神面や心理的な要素を加えると、合併症の頻度は更に上がることは間違いありません。また、昨年には生体肝移植ドナーの死亡例も報告されました。肝移植研究会ではこの事態を重くとらえ、生体肝移植ドナーの実情を、心理面や精神面を含めて総合的に把握するための調査を実施することになりました。
今回の調査では、調査の客観性を保てるように、アンケート内容を決める段階から心理学や社会学の専門家、ドナーの皆さんにも討議に加わって頂き、出来るだけ本音の部分が聞ける内容になるよう心がけたつもりです。また、調査用紙の回収と分析は、移植施設とは独立した専門家の手に委ねることにしました。調査の結果が今後の医療のあり方に反映され、インフォームドコンセントの充実やドナーの皆さんのケアー体制に生かされることを期待しています。
生体肝移植と脳死肝移植は車の両輪にたとえられてきました。この肝移植における生体と脳死の関係は、同様に生体からの移植が可能な腎移植や肺移植にも当てはまります。本来、この両輪は同じ大きさ、スピードで回ることを求められていました。しかし我が国ではいずれの移植においても片方の車輪だけがあまりにも大きくなり、それ故の弊害も大きくなる可能性がでてきております。生体からの提供による臓器移植には、その陰で大きな犠牲を払っているドナーの存在のあることを忘れることなく、もう一方の車輪―脳死からの臓器提供―を大きくするよう、今一度努める必要があると考えています。
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静岡県立こども病院
循環器科
小野 安生 先生
はじめに
1997年に臓器移植法が施行され、日本でも脳死臓器移植が可能となりました。しかし、この法律では15歳未満は臓器提供者になれませんので体の小さい小児の場合は、事実上脳死臓器移植を受けることはできません。こうした現実の中で、臓器提供を受けることができない小児で臓器移植を延命の手段とした希望される場合、残された手段は海外渡航移植しかないと考えるのは当然の流れと理解できます。1998以降5年間、国立循環器病センターで渡航心臓移植の現場に深く関わった者として、心臓移植について現状の理解の参考になると思われる点について述べて生きたいと思います。
1)心臓移植の適応とは
国立循環器病センターからの心臓移植をめざしての渡航はこれまで9人(2003年6月30日現在)です。1998年から2001年までは毎年1人ずつ、2002年は4人、2003年1人です。このうち6人が移植後元気に帰国しました。1人は現地で移植待機中、1人は心臓移植手術後現地で死亡、1人は手術前に現地で死亡されました。渡航までの手順としては、最初に心臓移植の適応があるか否かの判断が必要となります。成人では院内の移植検討会で適応と判断されたら日本循環器学会の適応判定委員会へ判定の申請を出します。適応と判定された後に、患者本人と家族に対するインフォームドコンセントを行なった後に移植ネットワークに登録し、以後は待機となります。小児の場合も将来のシステムのことを考え、同様の手続きをとるようにしています。
心臓移植の適応があるかないかということは、とても大事なことなのです。たとえば、拡張型心筋症と診断されてもすぐ心臓移植の適応とはなりません。重症の心不全を伴いしかも試みるべき治療が尽くされていることが必要です。
つまり心臓移植は最後の手段ということです。最近はβ遮断薬など新しい薬剤が心不全に効果があることが証明され、こうした治療法で心不全が改善する場合もあるため、すべての治療法が考慮されあるいは行われ、それでも心不全が軽快しない場合にはじめて心臓移植の適応となります。
また、心不全が改善することもあるので6ヵ月毎に日本循環器学会の適応判定委員会へ最新の検査結果を報告します。もし心不全が改善していたら移植ネットワーク登録を中止することになります。さらに重症心不全であっても心臓以外に別個の臓器障害があれば、この場合も心臓移植適応になりません。成人の場合、たとえば悪性腫瘍(がん)の合併があれば、適応とならない可能性が高いと思います。また、心不全に伴って肝臓や腎臓の機能障害がある場合は、心不全の改善にともなって回復する可能性があると予想される場合には移植適応となります。
最後に心臓移植という治療法に対する理解、移植手術後の自己管理に関する理解と了解が必要です。小児の場合はこうしたことを理解することは難しい場合が多いのですが、小学生以上の場合はなるべく本人に説明するようにしています。現在心臓移植術後1年の生存率は約80%、10年の生存率は50-60%とされています。臓器移植という治療は他人の臓器が体内に入ることによって起こる免疫反応を抑えることが必要となります。
免疫反応を抑えすぎると抵抗力が弱まり、感染にかかりやすくなります。このバランスを薬の調節によって行うことになり、怠薬(くすりの飲み忘れ)が致命的になることもあります。臓器提供者の善意を最大限生かすためには、本人の治療に対する情熱が必要となります。従って、成人の場合喫煙者やアルコール中毒者などは移植適応とはなりません。
2)渡航移植について
成人の場合、心臓移植の適応があり本人と家族のインフォームドコンセントがなされれば、移植ネットワークに登録され移植手術を待つことになりますが、臓器提供の可能性のない小児の場合は渡航移植に頼らざるを得ません。こうした状況で家族が強く渡航移植を希望されることも断念されることもあります。家族が渡航移植を強く希望される場合、移植施設の選定と移植施設への手術依頼が必要となります。外国といってもこれまで日本人の心臓移植がおこなわれたのは、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどです。
このうちイギリスでは、現在外国人を受け入れていません。アメリカなどでは、外国人を受け入れていますが制限があります。各施設の前年の心臓移植数の5%未満の外国人の移植手術が可能とされています。たとえは、UCLAなどのように年間100人近くの心臓移植が行なわれている施設では年間4人から5人とか、年間20-30人の施設では受け入れは1年間で1人ということになります。従って、渡航先施設の選定はとても大変です。問い合わせたら資料を送れとのことなので、資料を送ったら、5%ルールを理由に断られたこともあります。
こうしてなんとか受け入れ先の病院が決まるまで早くて1か月、おそければ3,4か月かかることもあります。その間に心不全は進行するし、家族と担当医はストレスいっぱいの日々を過ごすことになるのです。さて、デポジット(前払金)を支払ったら、出発日の交渉となります。航空会社との持ち込み医療機器についての交渉も安全基準の変更などにより前回と同じようにいきません。いよいよ出発ですが、長時間の飛行は心不全に悪影響を及ぼします。低酸素、低気圧などの状態により、心不全は悪化します。
これまでの渡航9人中5人は明らかな心不全の悪化がみられました。我々の仕事はここまでですが、この後、本人と家族は慣れない土地での生活が待っているのです。現地ではボランテイアの方々がいろいろな援助を申し出てくださったりします。また、ここに至るまでもさまざまな大勢の人々が一人の子供を救うためいろいろな形で援助を下さいます。これらはすばらしいことですが、できうることなら早く国内でもこうした子供たちが手術を受けられるようになって欲しいと思います。
3)最後に 臓器提供について
心臓移植をはじめとする脳死臓器移植そのものに批判的な意見があることは知っています。さまざま価値観からさまざまな意見が出ることは当然のことでありこのことは、むしろ健全な社会の一つの指標とさえ言えると思います。臓器移植とは、延命のため臓器を必要とする人がいて、一方に臓器提供をしたいという人がいれば、そこで成り立つ医療ではないでしょうか。臓器は提供すべきとか、提供すべきではないとかいう問題ではなく、個々人が自分の価値観に基づいて判断すればよいことで、ドナーカードに意思表明を記載すればよいのです。
意見が変わったら書き直せばいいのです。現在は「必要の医療」から「欲望の医療」ともいわれる時代になったといわれます。美容整形や一部の不妊治療などはこれまでの医療の概念からは外れてきているように思えます。また、極端な話クローン人間などの問題までいったらチョット待てというしかありません。心臓移植は現段階では「必要な医療」です。「先進国」の子供たちでその機会が奪われているのは日本の子供たちだけであるということは日本の大人たちにぜひ知っておいてもらいたいと思います。
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兵庫医療大学 学長
松田 暉 先生
臓器職の新たな時代に向けて
臓器移植法が成立して12年目にやっと念願の見直しが昨年7月に実現した。日本移植学会や関連学術団体、そして移植を受けまたは待つ多くの患者さんの皆さんの献身的な努力が実を結んだわけで、関係の皆様に敬意を表します。
改正法は平成22年の7月には実施されますが、意思表示カードを持たない方や小児からの脳死での臓器提供が円滑に実現するか、社会啓発とともに救急現場への配慮が急務です。なかでもドナーコーディネーターの育成と増員が待たれるところであります。
臓器移植ネットワークでは中央のコーディネーターを少し増やすようですが、問題は地域でのコーディネーターでしょう。現状では啓発活動もままならず、またもし提供が急に増えた場合に対応が出来ず、現場で混乱が起きないか危惧されるところです。現在のドナーコーディネーターがバーンアウトしないよう今から対応が必要でしょう。
臓器移植への社会の関心は今再び冷めていっています。マスコミも臓器提供が期待外れなら改正は時期尚早であったと言いかねません。それより、新制度での提供、特に小児ではセンセーショナルに報道するでしょう。報道関係には新たな法律のもとでの尊い提供者や遺族を大事に、そっと見守って欲しいとおもいます。11年前の喧騒はもう繰り返してほしくないと思います。
この新しい法律のもとで我が国の臓器移植が進むか否か、国民の姿、心が問われると思います。また医療現場の責任も大きくなります。現場の負担に見合う社会的支援も必要でしょう。法律は変わったが日本人の心は変わらなかった、医療体制が追いつかない、とならないよう願っています。平成22年こそ我が国の移植元年になって欲しいと切に希望しますし、私自身もまだまだ頑張る所存であります。
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東京女子医科大学
腎臓病総合医療センター
(平成13年)
寺岡 慧 先生
命を支える重要な臓器が病に侵され、従来の医療では治すことができない場合には、臓器移植が唯一の根本的な治療法です。 末期の心不全には心臓が、呼吸不全には肺が、肝不全には肝臓が、重症の糖尿病には膵臓が、腎不全には腎臓が移植されます。移植される臓器は、死後に善意で提供される場合と、健康な親近者から提供される場合(肺、肝、腎移植)とがあります。死後の提供では、脳死で提供される場合と、心臓が停止した死後の提供(腎、膵)があります。脳死での提供の場合は、脳死を受け入れ、臓器を提供する意思の表示が必要です。 臓器の提供も、臓器移植を受けることも本人と家族の意思で決めることで、法によって保障された権利です。 決して他人から強制されたり、干渉されたりすることではありません。 主治医から十分な説明を聞き、場合によっては他の医師や信頼する人に相談して判断してください。
臓器移植は善意に基づいた”命の贈り物”によって初めて成り立つ医療で、臓器提供の意思表示カードを所持することにより臓器を提供する意思を示すことができます。 また生きること、健康を取り戻すことは憲法で保障された基本的人権のひとつです。臓器移植の普及により一人でも多くの病に苦しむ方々が健康を取り戻せることを願ってやみません。
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国立小児病院
麻酔集中治療科
(平成13年)
阪井 裕一 先生
臓器移植を希望される患者さんと一緒に何回か米国へ行って来ました。 患者さんやご家族の大変さを痛感することは言うに及びませんが、よく外国人に、しかも50年あまり前に戦争をした相手に臓器を提供してくれるものだ、という感慨を毎回禁じ得ません。私は、自分自身や自分の家族、自分の仲間だけにあまりにも目を向けすぎているのではないか、と帰りの飛行機の中で自問します。 帰り着くとすぐに日常の中に埋没してしまいますが。私は小児ICUで仕事をしているので多くの患者さんを看取っています。 米国での経験を思い出すと、自分の子供が亡くなろうというときに、他人の子供のことを考えられる姿勢に戸惑いさえ感じています。患者さんのご家族ばかりでなく、医療者側の姿勢にも違いがあるのでしょう。
先日読んだ本に、「思いやりのあるケア(compassionate care)」を「方針」として掲げている米国の病院の話が出ていました。 私たちも、このような一見当たり前のようでいてこの国で実現できていないことから、まず声をかけて始めなくてはならないでしょう。 私の周囲から始めることが、ひいては移植医療を良くすることにつながるのではないか、と期待しています。臓器移植法案の改正も必要ですが、日常のケアを見直すことが医師に求められていることだと思います。
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千葉県こども病院
循環器科
岡嶋 良知 先生
私自身、移植医療に関わったのは初めての経験で(骨髄移植の下働きは大学にいた頃にやりましたが。)、とにかく分からないことだらけでした。 しかし、実際に関わって、心臓移植は今さらながら大変に有意義であることが確認できましたし、率直に、この治療が広まればいいと切望しております。 今回の活動では、私の患者の募金活動が本当に予想以上にスムーズに運び、事務局を引き受けてくださった方々や皆様の暖かい御支援の賜と感じ入っております。とは言っても、今後もいつまでも今回のようにスムーズに話が運ぶとは限らず、患者さんやご家族の負担を考えますと、移植が実現する機会が少ない上に、未だに脳死基準の判定すらスムーズに行かない場合が多く、医療不信を招きかねない状況にあると思われます。 そのような状況で、小児の脳死を認めてもらうためには大きな障害になるのではないか、と危惧しております。 やはり、根本には国民の医療機関、医師に対する不信感が有るものと推察されます。
また、実際、医療側においても、今日まで、日本の一般的な医師は、脳死移植医療に関わる機会が殆どなく、真剣に考える必要性が有りませんでした。 そのため我々がスムーズに移植医療を行える準備を十分にできていないのが、実情でしょう。 まだまだ不勉強です。柳田邦男氏が最近出した「緊急発言 いのちへⅠ」に、救急医療の現状として、救急医療体制や脳死患者への対応の不十分さを指摘しています。 言われればもっともで、臓器提供側に対する医療体制があまりにも未整備のままで、移植医療を推進することに疑問が有りそうです。
このような意見を認識して、移植医療に対する国民の理解が進むことが非常に大切であると痛感しています。 私自身、移植しか助かる道はない、と宣告した患者さんを何人も診てきましたが、海外移植までを真剣に考える患者さんがいなかったので、本当に貴重な経験をさせていただいたと思っております。
今後は少しずつでも、まずは勉強してと思っています。 貴哉君が帰ってきたら、やはり小生が診療したいところですが、ただ、知識不足はやむを得ず、移植医療の先輩に相談していかないといけません。 医療側も体制をしっかりと考えないと、せっかく多数の方々から頂戴した善意が無駄になってしまうという緊張感を感じつつ、戸惑いつつ、彼の帰りを待っているところです。
心臓移植は御協力をしていただいた方々の善意に支えられた素晴らしい医療だと思います。重い心臓病で困っている国内の子供たちにも、早く実現することを願っております。
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国立小児病院
循環器科
(平成12年)
百々 秀心 先生
移植医療の基本とは
移植医療といわれると非常に特殊な医療を連想されるのではないでしょうか?僕は移植とその他の医療、治療とは基本的に全く同じだと思っています。患者さんはなぜ病院に行って医師の診察そして治療を受けるのでしょう。悪いところを治してもらい、元気になるために医師に相談するのだと思います。医師は的確に診断し、その患者さんの状態に一番適している治療法を選択します。
治療法が一つでは無い場合は、患者さんに説明して最終的にその状況にあった最も良いであろうと思われる治療法を決定します。100%完璧な治療法などなかなかないのですが、その中から一つを選び出していくのです。そういうプロセスで”移植゛という治療法が選び出されます。もちろん移植は、移植の手術だけでなく、手術前もそして手術後も大変な治療法です。でも、それ以上にメリットが大きいと判断された時に選ばれるのです。
“基本的に゛同じと書いたのは、移植医療はある特殊性を持っているからです。それは臓器を提供してくれる人(ドナー)がまず第一にいないとはじまらない治療法なのです。例えば腎臓、肝臓、肺、小腸のように提供者が生きていても移植可能な部分生体移植も、脳死状態からの移植も、提供者がいないと成立しないのです。普通の治療・手術は「この方法でやりましょう。」と決まれば、極端にいうと医療側のペースで勧められますが、どのような移植でもドナーの存在なしには成り立たないのです。そしてドナーから提供された命が、新しい命になって生きていくのが移植という医療なのです。
みなさんは移植とは?と考えたことがありますか?
総理府は今年(平成12年)8月26日に、5月に行った「臓器移植に関する世論調査」の結果を発表しました。対象は全国の成人男女3000人を対象とした面接方式です。その中で、移植意思表示カードを所有し、常時携帯して記入されてる割合は、全体の4%でした。僕は、個人が移植を肯定するか否定するか、特に自分がドナーになるかならないか、という問題は、医療側が決める問題では無いと思っています。そして医療サイドの義務としては、移植そのものそして移植医療とはどのようなものなのか、どういう欠点および利点があるのか、を広く説明し理解してもらうことだと思っています。
そして、個人個人が移植を考える機会を持ち、それぞれの人生観、倫理観に基づいて移植医療を受け入れるか受け入れないか、ドナーになるかならないかを公平な立場で判断してもらえるようにいていかなくてはと思っています。そうした基盤がしっかり出来て、はじめて移植医療が根づき、広がっていくのではないでしょうか。日本の中で、今はもうひとりひとりが、他人事としてではなく移植を考える時なのです。
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